『球体感覚御開帳』

 『現代詩文庫45 加藤郁乎詩集』思潮社1971年初版収録、第一句集『球体感覚』から好きな俳句を少し。

   冬の波冬の波止場に来て返す
   花に花ふれぬ二つの句を考へ
   昼顔の見えるひるすぎぽるとがる
   枯木見ゆすべて不在として見ゆる
   冬木立つ無数に立ちて数へらる
   白鳥の白き不在の水かげろふ
   切株やあるくぎんなんぎんのよる
   冬木この一回性の森を成し
   晩餐や不在を飾る咳ひとつ
   昏れがての湖上をわたる一吐息
   五月このユーリッドの木を起し
   木の実この木の漂流の告別や
   一満月一韃靼の一楕円
   雨季来りなむ斧一振りの再会
   獄中侯爵正装の成蟲(りべるたん)

 「切株やあるくぎんなんぎんのよる」は「歩く銀杏銀の夜」とも「ある苦吟難吟の夜」とも読める。他の句でも 「咳」は「席」に、「一振り」は「一降り」に。

 松山俊太郎『球体感覚御開帳』冥草舎1971年の「獄中侯爵正装の成蟲」への解釈から。

《 「獄中侯爵」は、サドと同時に郁乎を指し、既成の道徳・習慣を脱皮した「りべるたん」のみが、真に「一人前」の 「成蟲」だといふのである。(中略)「有季俳句」の「獄中」で成熟した作者が、無窮の「外界」に「飛翔」する、 「球体感覚」掉尾の句である。「閨中男爵裸体のモラリスト」なる即席のパロディーが、澁澤龍彦氏によりものされた。 》

 この『球体感覚』冥草舎1971年の出版記念会を加藤郁乎氏から誘われて市ヶ谷の会場へ赴いたが、眩い魔界の入口だった。 二次会は神楽坂近くの冥草舎主人のアパートだった。賑やかというか酔っ払った人たちに混ざって最年少の私は、本棚に 水木しげるの貸本漫画を見つけた。冥草舎主人西岡武良氏と水木しげるで話が盛り上がった。後日、記念に氏の探求本、 水木しげる『地獄』佐藤プロ1965年を贈った。あれから四十五年か。先達は消えてゆくわけだ。

 表現は変わる。昭和の時代には「○○のメッカ」という表現が当たり前に使われたが、いつからか「聖地」に変わり、 「メッカ」は使われなくなった。境目はいつごろだろう。
 そういえば、午後友だちの車に同乗して沼津市の千本浜海岸へ。何この車。長〜い駐車場は満車状態。一軒だけある という海の家は見当たらず、海辺では数えられるほどの人。では、あの車は? 松林へ入ってびっくり。人人人。老若男女が スマホを片手にじっと見つめている。そう、ここはポケモンスポット。ネットで知って友だちが私を連れて見に来たってわけ。 普段は薄気味悪い松林が、木漏れ日も美しい素敵な林に。

 ネットの見聞。

《 エアロビのプロに伊福部昭を踊ってもらった 》
 https://www.youtube.com/watch?v=Ue13wQalrU4

 ネットの拾いもの。

《 台風の日に電車乗ってたら、1人でベランダに椅子を出して豪雨を見ながら酒飲んでるジジイを見かけたことがあって、 図らずも人生の羨ましい光景100選にランクインしてしまっている 》 カワウソ祭
 https://twitter.com/otter_fes/status/770109062369411072