『言語空間の探検』

 大岡信編集『全集・現代文学の発見 第十三巻 言語空間の探検』学藝書林1969年初版、解説の大岡信「『現代詩』 の成立──『言語空間』論──」は、今もって新鮮な知的刺激に満ちている。

《 言葉はイメージをよび起すことができるが、イメージが出現するということは、すでに対象物がそこにはないという ことである。イメージは対象物の不在によって成りたつものである。「言語空間」というとき、人が直観的に感じとる 「空間」とは、つまりこのイメージの世界であろう。それはすでに、肉眼に見え、肌で触知できる「現実の空間」ではなく、 むしろその種の空間の不在によって成り立つ「虚の空間」である。 》

《 「現実の空間」は、明確に計測されるもので成りたっているが、「虚の空間」は変幻自在であり、つまり無限という 観念にまで至る一切の可変的で伸縮自在な観念を包含する。 》

《 言葉はこうして、「もうひとつの環境」となる。「言語空間」とは、これらのことすべてを含んだ意味での「空間」 だということになろう。したがってそれは、当然、人間の本質をなす「時間性」をも含んでいるはずである。 》

《 すなわち、言葉を「もの」に還元するということは、単なる物質に還元するということとはまたく違う性質のもので、 むしろ、虚の空間をより純粋によび起すための、必要な還元作業にほかならない。 》

《 端的にいって、レトリックをしらみつぶしに抹殺し、言葉というものを、純粋な「もの」としての発生状態において とらえようとする、ひとつの野性的な言語観こそ、「言葉の錬金術」という概念を生み出した当のものだったのだが、 日本では、逆に、漠然とながら、「言葉の錬金術」は「新しいレトリックの創出」という方向において理解されていた傾向が みられる。 》

 西洋文化の換骨奪胎ではなく、ただの勘違い。絵画論にそのまま応用できそう。

 この数か月、大岡信の詩と評論を途切れ途切れに読んできて、彼の頭脳明晰さに改めて感嘆。対象全域に網をかけ、その本質を 明解かつ明快に分析、再構成する。はみ出しがない鮮やかな裁断だ。……けれどもその視界から何かが抜け落ちている、 という印象が拭えない。語り得ることを語り、語り得ないことは語らない、のかも知れない。優れたデジタル画像でもそこから 抜け落ちる情報がある。

 ネットの見聞。

《 とうとうフィギアスケートにも演歌革命! 》
 https://www.youtube.com/watch?v=_AlYymB9Nn0

《 世界が仰天した「日本車の変な名前」ワースト7 》 Livedoor NEWS
 http://news.livedoor.com/article/detail/11971371/

《 沖縄県民と自衛隊の関係が悪化すれば、東シナ海で領土紛争が発生した時、沖縄に展開する自衛隊への県民の協力体制に マイナスの影響が生じる。自国や他国の住民をむやみに敵視して感情的反発を招く愚策は、内外の歴史で繰り返されてきたが、 歴史を自己満足の道具としか見ない人間は、歴史から学ばない。 》 山崎 雅弘
 https://twitter.com/mas__yamazaki/status/771930545932603392

 ネットの拾いもの。
《 西瓜が食えぬ独り者 》

  スーパーで四分の一の西瓜買う