『ほりだし砂絵』

 数日だが鶴首して待った都筑道夫『ほりだし砂絵 なめくじ長屋捕物おさめ』盛林堂ミステリアス文庫2016年が届く。
 http://seirindousyobou.cart.fc2.com/ca1/245/p-r-s/
 早速読んだ。開始一ページにウワッ。

   目も鼻もないのっぺらぼう
   河童(かっぱ)のすむのは源べゑ堀

 都筑道夫は『七十五羽の烏』の取材で三島に来ているので、源兵衛川も知っていたと思われる(思いたい)。明後日の テレビ取材で源兵衛川を愛する会の何人かに出演をお願いして、ほっとした午後にこれ。ご褒美か。「ほりだし砂絵」、 いい短篇だ。

《 「いいえ、稽古でしょう。一枚の紙に、なん本も、なん本も、まっつぐな線をひっぱっている。紙がまっ黒になると、 新しい紙にかえて、また棒をひっぱるんです。それが、定規でひいたように、まっつぐね。太さがときどき違うと、 舌うちをしていました」 》

《 「棒をひっぱるのをやめると、こんどは丸をかきはじめて、これも三、四枚、紙をまっ黒にしましたかね。大きいの、 小さいの、まるでぶんまわしをつかったみてえに、きれいな丸をかいてましたぜ」 》

 絵描きの修練のほどを知る。線と丸が描けなければ金になる絵は描けない。なめくじ長屋シリーズは光文社文庫で十ニ冊。 『うそつき砂絵』だけ持っていない。読んだのは一冊だけ。
 後半、芦辺拓から山田正紀まで十七名が短文を寄せている。山田正紀の文から。

《 いうまでもないことだが、都筑道夫のアルチザンとしての力量は「ひとかどの芸」どころではない。名人の域に達している。 しかし、「世のなか、芸だけじゃあ、どうにもならないこともある」というのが都筑道夫の後半生の苦い実感だったのでは ないだろうか。 》

 私もそれを感じる。岡本綺堂の半七シリーズは気に入っているが、なめくじ長屋シリーズは、ちょっと、だ。おそらく、 クールな手さばきが没頭を妨げている気がする。

 ネットの見聞。

《 ネクタイのように長年にわたり、象徴的な、あるいは装飾上の意味しか持たずに使用されてきたアイテムは他にはない。 その他の衣類はほとんどが、それぞれにその機能を持っている。身に着けるものが文化によって否定された価値観を 象徴するものとして、時代遅れになっていくというのは非常に珍しいことだ。 》 Forbes JAPAN
 http://forbesjapan.com/articles/detail/13485/2/1/1

 会社の応接室や個人住宅の応接間における豪華な額の油彩画も同様じゃないかな。

《 東京まで物理的距離ではなく交通費が各都道府県からどれぐらいになるかが一目瞭然の「交通費変形地図(都道府県ver)」 》 Gigazine
 http://gigazine.net/news/20160905-transportation-expenses-deformation-map/

《 歴史研究家・加藤陽子さんの話、日本が経済封鎖され止むに止まれず戦争に突入したというのは、 1943年サイパンが落ちて日本がそろそろ負けそうだと思われた時に、外務省が負けた時の言い訳として出したプロパガンダで、 その頃から新聞がこれを書き始めた…知らなかった。 》 ミスターK
 https://twitter.com/arapanman/status/773034818275676160

《 政治家と官僚の「覚醒」にリアリティはない 》 辻田 真佐憲
 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49434?page=3

 ネットの拾いもの。

《 人生成り行きでここまで来てしまった感があるな。 》