雨で燃料切れなのか、本を読むのがまた遅くなる。山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店をきょうは「11章 小杉放庵のスポーツ・ネットワーク」を読んだ。小川芋銭が話題に。知人女性の夫の祖父が小川芋銭。昔彼女の家で 肉筆画を拝見。多くの絵は東京国立近代美術館に預けてあると聞いた。そんな家系だからか彼女の娘は大新聞社の美術記者。 某美術研究家と結婚。彼女の親は代議士。ウチとは血統が違う。そんな女性と知り合ったのは、銀座のマガジンハウスでの 福島泰樹短歌絶叫コンサート。今にして思えば不思議な御縁。
405頁上段には小杉未醒(放庵)『漫畫と紀行』博文館1909年収録の三点の絵が載っている。この本は京都の今は無い 古本屋から目録注文で購入。紀行「伊豆繪詞」を収録。三島が出てくる。文章も軽快にして愉快だ。
《 十七 三島の宿は梶屋(かぢや)、神社の隣り、家好く人懇(ねんご)ろで、温かく寛(ゆるや)かに寝たあくる朝は、 箱根を越すと云ふに雨となつた、是(これ)で一人なら無論相當(さうたう)の理窟をつけて汽車で歸る、此の二人となると、 寧(むし)ろ雨も亦好いなどゝ云ひ合ふ事になる、そこで傘を買ひ油紙を買ひ、雨人君の乾板は小包で送り、鼻歌で箱根に かゝる。 》 『漫畫と紀行』「伊豆繪詞」328頁
《 我が漫畫は畫よりも或は字に近し、興によりて畫き、或は曾の興を探りて畫く、畫く時物体を現はす可き技巧の幾條件を 具備せず、下畫なく、彩色する事希に禿し、紙幅多くは小さし、一度試みて、可ならざえば乃ち廢す、必ずしも一題に就て 左し右し苦心経営の労をとらず、轉じて次の他の題に向ふ、甚だ西洋の若くは近代日本の或者の漫畫的的挿畫と異る、彼等は 完備せり、彼等は一點をもいやしくもせず、如何なる空想的のものと雖も、必ず深刻なる冩實の力之に添ふ、我は只概念的のみ、 即興的のみ、我が技巧はへへののもへじ程度に満足す、(以下略) 》 『漫畫と紀行』「自序」
《 この軽快さのゆえに未醒は、必ずしも超大家という評価を後世に残すことはなかったが、その魅惑的なネットワークを 形成し、時代の潜在的な魅力或いはメッセージに形を与えた。それゆえにこそ、後世を魅了してやまぬ存在であり得て いるのが、どちらかといえば、出版社を喜ばせるだけの美術全集用の虚ろな超大家より、未醒のような人であったという ことは、今日、ますます多くの人を納得せしめる見方になりつつあるだろう。 》 411頁下段
石井柏亭、山本鼎らが出した雑誌『方寸』第二号の《方寸言》にはこんな一文。
《 古物の調べは「国華」に一任する。新聞の切抜は「美術新報」と「日本美術」とに依頼する。素人画家の養成は「みづゑ」 の任務である。 》 417頁
ギネスブックに登録されている世界最長の美術雑誌『国華』は、創刊号から百五十号まで持っているが、まだ通覧していない。
《 しかしいつの時代にも新しいものだけに飛びつく近代日本の粗悪な進歩主義 》 420頁下段
まったく同感。苦笑を禁じ得ない。
《 また出光佐三は戦後も変わらず放庵のパトロンとして援助していた。出光美術館は放庵の作品を最も多く所蔵しているはず である。 》 448頁上段
平成の金持ちにそんな奇特な御仁はいるかな。私が知らないだけかも。
ネットの見聞。
《 安倍晋三という人が、「シン・ゴジラ」のネタバラシを盛大にやってるらしい。ご注意ください。 》 大倉崇裕
https://twitter.com/muho1/status/775347822564519936
ネットの拾いもの。
《 ♪ ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね。そうよ、ちんちんに届くのよ〜(^_^) ♪ 》
子どもの時歌っていた歌。
《 ♪ ゴ、ゴ、ゴジラ ゴジラのおなら せ、せ、世界で一番くさい
おいらの友だちゃ 黄色くなって 死んじゃった ♪ 》
《 長い夢だったな
やっと覚めたか → もんじゅ 》