『されどスウィング』

 『相倉久人 自選集 されどスウィング』青土社2015年初版を読んだ。歯切れの良い明解な文体にグイグイ乗せられる。 まさにスウィング。

《 すぐれた音楽がいろいろな意味でその時代を反映しているようにみえるのは、時代が直接それを生みだしたからではなく、 そのつくり手が時代に敏感に反応する力をもっていたからにすぎない。 》 23頁

《 「耳で聞いて、頭で数えようとするからダメなんだよ。腰で聴いて、からだ全体でのらなくちゃ」 》 50頁

《 どんな過激な時代にも”日常”は存在したはずだが、歴史のなかに縮尺された時間のなかではその”日常”がどこかへ 吹き飛ばされてしまうからである。
  つまり、世間常識とは反対に、直接その渦中にあったときよりあとから見返したほうが、”過激さ”ということばの意味が 過重に陥りやすいということなのだ。時とともにことばの重みが増し、事態が美化されていくこともまた一種の”風化” なのだと、男は考える。 》 63頁

《 過去といっても、むかしは演奏をとつぜん中断して踊り出すとか、楽器を吹きながら客席をひと回りしてくるとか、 せいぜいいって酒くらってステージで寝てしまうとか、そのへん止まり。たいしたことはなかった。これでは暴走とは言えぬ、 単なる逸脱にすぎない。
  その後、やたらニュー言語をステージで出産して世の生成文法家(これを生殖的文法と訳した男がいたのだ)を 悩ませたり、演奏中にソバ屋を開業したり(筆者は何か勘ちがいしているらしい)する輩があらわれたが、これとてもはや 古典的パターンに属す。 》 83頁

 山下洋輔タモリだ。『TAMORI』1977年収録「14 ”武蔵と小次郎”part4〜アフリカ民族音楽”ソバヤ”」。
 https://www.youtube.com/watch?v=Xx8mNJLIwbU

《 心地よいリズムというのは、演奏している者同士の間にかならずといっていいほど、リズミックな「ゆらぎ」がある。 潜在的なビートとして流れる基礎リズムにたいして、自分が一瞬浮いているように感じる瞬間もあれば、後追いで遅れ気味に ついて行っている瞬間もある。
  その出たり引っ込んだりの時幅は、○秒一かニを超えることは少ない。それでいて自分が前に出ているときは他の メンバーたちのリズムが聞こえず、引っ込んだ瞬間にそれが現れる。そうした「ゆらぎ」が生む独特の浮遊感こそ、 スウィングの正体なのだ。まさに「たかが○秒一、されど○秒一」である。 》 106-107頁

 慧眼だ。このエッセイ「たかが○秒一、されど○秒一」は2015年の書き下ろし。そして『されどスウィング』が発売された 翌日2015年7月8日に亡くなった。享年83歳。
 明日へ続く。

 ネットの見聞。

《 NHKBSプレミアム 14日(金)午後9時00分〜 午後10時00分 発見!体感!にっぽん水紀行「富士山からの贈りもの」  》
 http://www4.nhk.or.jp/P2651/x/2016-10-14/10/574/1623465/

《 発生するであろう放射性廃棄物の総量分からず、デブリの場所や取り出し方法分からず、汚染水用タンクの必要容量 分からず、作業期間や必要人員分からず、燃料プールの中の状態分からず、この状況で事故処理経費が算定できる訳が無い。 算定出来ない事を改めて確認するだけの為に会議をしたようなもの。 》 春橋哲史
 https://twitter.com/haruhasiSF/status/783801758531203072

 ネットの拾いもの。

《 ボジョレ・ヌーボー解禁とか
  鮎漁解禁とか
  そういうのは聞いたことあったけど
  まさか10月6日が「白紙領収書解禁」
  になるとは想像だにしなかった(ー ー;)
  (解禁と違うの?国会議員限定?) 》