『美は時を超える』

 朝、沼津市で催されている全国ジオパーク大会分科会の人たちを「溶岩と湧水の里でジオパーク保全を考えよう」 のテーマで楽寿園〜源兵衛川〜白滝公園〜三島駅を一時間歩く。それにしても溶岩塚についてジオパーク団体と 別の研究者で見解が分かれるとは。これは溶岩塚だが、あの方が溶岩塚だというあれは違う、と。なんというか。 門外漢にはわからん。

 千住博『美は時を超える』光文新書2004年初版を読んだ。「第2章 『虚』と『実』の色彩」はモネについて。

《 モネはアトリエの中でコンセプチュアルな、頭の中で考える世界、観念的世界を描き続けたのです。統一された 紫系の色は白黒の写真から描き出されたイメージの中の色でしょう。 》 41頁

《 私がこの庭で感じることは、巨大なテーマ・パークのようなつくりものの人工庭園だということです。 》  48頁

《 そう、モネはジヴェルニーの自宅で「虚」を描こうとしていたのではないでしょうか。それは「印象派」と いわれる彼の面目躍如たる世界だったのです。 》 52頁

《 晩年の作品のほとんどは、モネの庭園にある花々や、水の庭園の睡蓮をモチーフとして描き続けたものです。 そしてそれは水鏡に映った虚像の世界だったのです。 》 53頁

 モネについて、また睡蓮について納得のいく解釈にやっと出合った。

《 十九世紀末、ニーチェが「神は死んだ」と言って、来るべき二○世紀のモダニズム社会へ大きな警鐘を鳴らしました。 それに対するように、この世が実在か不在か疑わしいという時代思想を映し出した「印象派」モネの象徴的な登場が あったのでした。 》 162頁

《 私たちの人類の長い歴史を考えたとき、近代というわずかな時間を除く長い間、人々は美とともに生きてきたと いえます。人々の生活から美が置き忘れられ、モダニズム時代には美そのものが失われていった傾向があったように 感じます。 》 153頁

《 モダニズムの時代は、愛や夢そしてロマンよりも、計算し計れるものを人々が信じた時代です。人々は神の代わりに、 物質文明、そして科学を信じました。 》 136頁

《 比較の中に真理はありました。より優れたもの、という発想は消費社会を支え、人々は計算によって表された数字を 支持ました。 》 162頁

《 モダニズムの時代の神、すなわち「美」とは、大量消費世界によって裏打ちされた誰にでも手に入れられる身近な 「商品」だったのです。 》 172頁

《 美は雄弁にその時代を語るあわせ鏡です、夢や愛、希望、癒やしよりも、計算して計ることのできる世界に生きた ニ○世紀。人々がそれを批判すらしない社会の中にあって、ウォーホルにもジャッドにもウォルター・デ・マリアにも 社会的批判の影は少しもありません。「自然」として無抵抗の精神で物質文明を受け入れているのです。(略)しかし、 ウォーホルの作品が、どこかどうにもならない暗いものをひきずるのを見るとき、彼の作品が少しも軽くないことに 気づくのです。この重さは何でしょう。(略)彼らの作品は、この時代の持っているどうにもならない重苦しい雰囲気を、 きらびやかな繁栄と表裏になった現実として、私たちに伝えているのです。  》 179-180頁

 ウォーホルの絵から受けるいやあな印象を千住博も感じ取っていたか。

《 ウォーホルの作品、そしてミニマルアートの作品、彼らの信じた「美」を今考えてみることによって、この時代の 人々の信じた神なき時代の神が浮き彫りになってくるのです。 》 181頁

《 二○世紀のアメリカ美術の美は時を超えて、悩めるアメリカの神なきモダニズムの本質を今の私たちに伝えて いるのです。 》 182頁

《 美とは圧倒的な正直と向い合わせ、人々に自分とは何者かということ、本当の自分というものに立ち返らせる瞬間を 与える。 》 146頁

 千住博の絵にはさほど興味を覚えないが、この本には納得できること、参考になることが多い。

 ネットの見聞。

《 日本女子大学を本気で変えようとした話。 》 manazo.com
 http://www.manazooooo.com/entry/2016/10/09/171855

《 南スーダンの件、西欧帝国主義がもたらした人為的国家における内戦、国境紛争などに対して、 さらに大国と武器商人が火に油を注いでいる紛争に対して、危ないところにはいきたくない、 人殺しも殺されることも嫌だと言うことが、そんなに非難されるべきことなのだろうか。 》 山口二郎   
 https://twitter.com/260yamaguchi/status/785716950601048064

《 稲田朋美防衛大臣の軍需企業株大量購入事件とか、白紙領収書大量捏造事件とかは、稲田大臣が 崇高な国家主義者なんかではなく単なるカネの亡者であったということではなく、国家主義者とカネの亡者は同一だ ということを示している。通底しているのは、市民に犠牲を強いて自分たちだけが栄えること。 》 早尾貴紀
 https://twitter.com/p_sabbar/status/785257625474650112

 ネットの拾いもの。

《 私には、父と、母と、2人の弟がいる。

  私は、ファザコンであり、マザコンであり、ブラコンである。

  もはやファミコンである。 》