「ある小鳥の死」

 友だちが溺愛していたインコのチビが死んだ。昨夕、掌のなかで暖めているけど、死んじゃいそうと泣きながらの電話。 寒いから暖めてやって、と返したすぐ後に彼女から電話。チビは彼女に呼ばれて駆け寄って……掌の中で息を引き取った。 泣く彼女にチビは幸せだったといたわる。もらい泣き。
 五年余り前、三島駅近くの小鳥店で彼女は最も弱々しいヒナを買った。紙箱に入れ、私がおっかなびっくり車まで運んだ。 楽しい想い出が走馬灯のように駆け巡る。保存メールの最後の写真「ちびの布団、かわいいでしょ?」を見る。カワイイ。 涙がこんなにあるとは。昨夜は何も手につかなかった。いや、ティッシュは別。
 朝、友だちの家に行き、花壇に二人で埋葬した。チビは喜びを振り撒き、天国へ。たくさんの楽しい想い出をありがとう。 合掌。
 知人の「すぐに次のを買え」というアドヴァイスを受け、昼前には新しいインコを運び入れる。紙箱のフリースの中に くるまっていたインコは、彼女が取り出すと掌に体をすり寄せてくる。これで一安心。やれやれ。昼過ぎに電話すると、 元気に鳴くそうだから、泣くのはおしまい……かな。

 この一週間、死にまつわることが続いた。三島市の幹部職員の妻の死、知人女性の飼う金魚の死、そして小鳥の死など。 それはウェブサイトの衝撃的な写真記事から始まった。大野左紀子「地面に絵を描き、そこに入ること」。
 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20161015/p1

《 「もう一度お母さんの懐に抱かれたい」という子どもの思いが、こんなに痛々しく伝わってくる光景を私は知らない。 》

 午後、一息ついてオーケストラ・バオバブ Orchestra Baobab の「 Ndiaga Niaw 」を聴く。
 https://www.youtube.com/watch?v=Wp-zmJJv1R4

 ペルーの黒人音楽の「 Toro Mata 」を連想。どこかつながるものを感じる。
 https://www.youtube.com/watch?hl=ja&feature=related&v=i6Rqp4tYF9s&gl=JP

 「 Toro Mata 」流れでサルサの女王セリア・クルースの歌に漂着。そのアフリカはザイールでのライヴは圧巻。 絶頂期のサルサだ。
 https://www.youtube.com/watch?v=AXN-_asIaYs