「現代美術が滅んだあと」

 『美術手帖』に掲載された椹木野衣による『杉本博司 ロスト・ヒューマン』展 東京都写真美術館のレビューから。

《 精確でないかもしれないが、本展をめぐるトークで杉本の対話者から、河原温のように、 最後の最後まで方法と形式を徹底すべきだという意見が出されたと聞く。しかし、考えてみれば結局、 美術といえども近代文明のごく一角を担っているにすぎないわけで、いくら方法や形式を徹底しても、 それで後世に通用する普遍性が保証されるわけではない。その点で私は、本展での杉本の「あがき」のほうに (文明そのものではないにせよ)「現代美術」が滅んだあとの「テーマパーク化する世界」への射程を、むしろ感じる。 》
 http://bitecho.me/2016/11/01_1247.html

 行政から助成金補助金をもらってアートで街おこし、なことは近隣の自治体でも今だに目にする。先だって 改装した店舗の一部を一か月無料のアートスペースとして貸す場所を見た。そんな壁面使いの店も最近よく目にする。 有名作家のつまらない作品を大げさに展示したり、無名の日曜画家の制作物をえらそうに展示したり。上の引用 「テーマパーク化する世界」への移行期なのかもしれない。まあ、現代アートが二十世紀の地位からずり落ちてゆくか。
 芸術、アートの意味、概念が拡散、漂流してゆく現状を超えて次世代に何が生き残るか、何が大事なものとして評価されるか。 これからのたった十年ほどでえらく変わる気がする。生きているうちに結果を見られるかな。その結果もまた次の時代には 浮き沈み。

 人はどんな時に自らの歳を、老いを自覚するのだろう。私の場合、視察の案内の後の疲れに老いを感じる。昨日も。 たった一時間だったが、ひどく疲れた。神経を使い過ぎたせいかもしれないが。昨夜は読書はほんの僅かで、昨日話題の ハリス・アレクシーウのLPレコードを聴いた。『 Ta Tragoudia Tis Haroulas (with Manos Loizos) 』1979年、 『 Ksimeronei 』1980年。若々しい歌声、節回し、コブシ。飛んで『I Nihta Thelei Erota』1988年はダイナミックに。 しかしジャケットの彼女はひどく疲れた表情を見せている。仄聞するところ、この時期に離婚問題が発生。風雲急を告げる ただならぬ気配がひしひしと感じられる。彼女の転機となったアルバムだろう。LPレコードは4枚。他にCD17枚、 カセットテープ2巻、ビデオテープ1巻。1990年代の迷い(?)を経て2000年代、2010年代と芸域を広め、歌声は寂寥を帯び、 独自の世界を深めてゆく。それは一人の女性が苦悩し、自立し、自律してゆく軌跡かも知れない。
 https://en.wikipedia.org/wiki/Haris_Alexiou

 朝、昨日源兵衛川を案内していて見つけてしまったヒメツルソバを駆除。それから源兵衛川際の床屋へ。散髪を終わって 向こう岸に目を遣ると、ヒメツルソバ。そこは気づかなかった。駆除。ついでに三ツ石神社の川沿いの石垣を点検。早、花。 時の鐘橋までを駆除。以前は抜けなかった根が、先日の雨で緩んでいて抜ける。通りがかりのご夫婦から「テレビに出ていた人?」 と聞かれる。「そうです」と返辞。BSプレミアムを見て来る人がいる。
 午後、ブックオフ三島徳倉店で文庫本を四冊。T・カポーティカポーティ短編集』ちくま文庫1998年3刷、O・ヘンリー 『1ドルの価値/賢者の贈り物』光文社古典新訳文庫2007年初版、日本推理作家協会・編『ミステリー傑作選 ジャンクション  運命の分岐点』講談社文庫2015年初版、同『クエスチョン 謎解きの最高峰』同2015年初版、計432円。

 ネットの見聞。
《 にしても「明治の日」制定を叫んでいる議員連中、「過去の栄光よ、もう一度」という情熱だけは伝わってくるな。 実際の「お仕事」ができない連中が、イデオロギーとかをいじる事しかできないのはどこでも見られる風景とは言え、 もうちょっと議員として眼前の問題に対して働けとしか。 》 Kawase Takaya
 https://twitter.com/t_kawase/status/793706867289567232

 ネットの拾いもの。
《 いっそ日本専用で「三十一文字限定バージョン」とかやらないだろうか>ツイッター 》 Rogue Monk
 https://twitter.com/Rogue_Monk/status/793976153564332033