「それなりの見識と経験と哲学が必要」

 村上春樹世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社1985年初版をゆっくり読んでいる。気の効いた科白が 時々あって、おお、と嬉しくなる。そのひとつ。

《 私は高級車を乗りまわしながら家には二級か三級のソファーしか置いてない人間を何人か知っている。こういう人間を 私はあまり信用しない。高い車にはたしかにそれだけの価値はあるのだろうが、それはただ単に高い車というだけのことである。 金さえ払えば誰にだって買える。しかし良いソファーを買うにはそれなりの見識と経験と哲学が必要なのだ。金はかかるが、 金を出せばいいというものではない。ソファーとは何かという確個としたイメージなしには優れたソファーを手に入れることは 不可能なのだ。 》 65頁

 美人画で人気の芸術院会員の油彩画家中山某の絵を見に来て、と会うと言う男性の家は、昨日の絵を描いている女性の近くだが、 行くつもりはない。一千万円近いと自慢げに話す人とはつき合いたくない。良い美術品を買うにはそれなりの見識と経験と哲学が 必要なのだ。金はかかるが、金を出せばいいというものではない、とつくづく思う。

《 しかし僕の指はそれをまだ明確なメッセージとして把握することはできなかった。それがたしかに存在していることを 感じとるだけだ。 》 88頁

 クラシック・ピアニスト内田光子の演奏するモーツァルト『ピアノ・ソナタ第11番 イ長調 K.331 』、『ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332 』、『幻想曲 ニ短調 K.397 』(1983年録音)を連想。当然、LPレコードで聴く。ピアノ音の 石造物のような存在感、無音の息を呑む深淵。存在と深淵の目眩く輪舞。たまらん。名盤だ。

《 「三十年といえばあんた、これは並大抵の歳月ではない」 44頁

 三十年経ってもこの演奏は色あせない。この小説も、だろう。レコード・ジャケットの内田光子の文章から。

《 レコードも、聴いた後の一瞬の静けさを生かしたいものである。 》

《 自分のレコーディングの際も、完璧なものを記録に残すというより、まず生きた演奏を録音することを心がけたつもりである。  》

 絵画にも通じる。しかし、聴き過ぎて雑音が。

 ネットの拾いもの。

《 海老名SAの吉野家で 赤い丼を食ってる奴がいたので
  あれは何丼だろうかと 暫く考えてしまった。 》
  ↑ 山盛りの生姜

《 【格闘技マンガ あるある】
  実際に必殺技を試してみたら、技をかけた本人の方が大ダメージ。 》