「言語のトポス」

 昼過ぎ、静岡県庁で川勝静岡県知事に、グラウンドワーク三島の面々とともに面会。源兵衛川の「世界かんがい施設遺産」 登録の報告を行う。知事はゴキゲン。ふう。一日仕事だ、

 28日、昨日と白砂勝敏氏の作品について述語的と評したが、中村雄二郎対話集『現代芸術の戦略』青土社2001年初版で 彼がそのことにふれていた。

《 中村 ええ、それからもう一つ。主語と述語という問題ですが、日本語の思考方法は、主語的ではなくて述語的ですね。 たとえば、西田幾多郎の哲学の論理の考え方などは、まったく述語的ですね。少し気をつけてみていけばそういうものは たくさんある。ところがいままでわれわれはそれを抑圧してきた。主語的でなければいけないと思いこんできたんです。 ヨーロッパやアメリカでは逆にそれに対する反省がつよいんですね。主語的な思考方法というのは、歴史的文化的にみれば、 限られた時代、限られた社会のものにすぎないとも言えるわけです。
  佐藤 そうでしょうね。 》 中村雄二郎佐藤信夫「言語のトポス」22頁

 二十世紀美術は、日本の美術作品もその大部分が主語的な作品だと思う。主語的な作品で美術史が語られてきた。

《 中村 ええ、論理的に割り切ってしまう。だから割り切る爽快さがあると同時に、割り切られておかしいな、という点が あるわけですよ。 》 中村雄二郎佐藤信夫「言語のトポス」57頁

 私が注目する美術作品は、その多くに論理では割り切れない何かがあると感じる。味戸ケイコさんはイラストレーターと 呼ばれる。しかし、その ILLUSTRATION は図解、(説明のための)比較、実例のこと。味戸さんの絵はそれから逸脱している。 またはイラストレーションの役割を超えてしまっている。その絵は論理から逸れている感覚に訴える。述語的な絵でもある。

 ネット注文した古本、中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社1998年3刷帯付が届く。450円。世紀をままたぐ頃 中村雄二郎の情報を何も捕捉することがなかった。なんか不思議。今世紀になってインターネットに接するようになったからかな。

 ネットの見聞。
《 問われるメディアの良心 子宮頸がんワクチンデータ捏造疑惑報道 》 Japan In-depth
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161127-00010001-jindepth-soci&utm_content=buffer260e5&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

《 「ウチの生活が大変だから給料上げて」という儚い夢は絶対に叶わないですが「国家が金を使いすぎたから増税」 はよくあります。ご立派な政治家や優秀な官僚の皆様が大勢いても「金が無くなるまで使って、無くなったらまた集めよう」 ってその精神構造が問題。飲み会の幹事がこれやったら罵倒の嵐。 》 清水 潔
 https://twitter.com/NOSUKE0607/status/803875508723159040

 ネットの拾いもの。
《 なんか、トランプさん、大統領無理な気がしてきました。。。 》