『述語的世界と制度』「第五章 自己・言語・生命」一

 深沢幸雄氏の銅版画の値段は、長谷川潔、浜口陽三に較べて格段に安い。氏の一番大きい作品、75センチ×50センチ大で 新作の値段は15万円。仄聞するところ、氏の意向でずっとそのままだった。値段が高いのがいい作品だと思い込む多くの人たち。 「こんなにいい作品がこんなに安いの!?」とは、高価な絵を買っていたコレクターから出た言葉。
 今なら現代の日本の版画は安い。高校の美術の教科書、河北倫明・編『美術1』光村図書1994年刊に掲載された坂東壮一の 銅版画『夜の帳』の値段は4万円。左頁に掲載のアルブレヒト・デューラーの銅版画『メランコリア』は、億を超えるかも。 『メランコリア』は、西洋美術館の「クラーナハ展」(15日まで)で見られる。
 http://web.thn.jp/kbi/bando.htm
 http://ameblo.jp/6981313/entry-10275225159.html

 食料の買いもの以外に外出することのない私的休日の午後、初代諏訪蘇山の青磁花瓶を鑑賞。奥ゆかしく端正な気品。いや、 すーっと立つ、何の装飾もない容姿に、以前気づかなかった美の力を感じる。立体の焼きものは朝昼夕の日射しにより印象が ずいぶん変わる。手早く鑑賞するには、少しずつ移動し照度も変わる照明器具が要る。北一明の展示のときにもそれを思った。 当時そんな器具は見当たらず、助言を求める人もいなかった。今もいないけど。大阪の東洋陶磁美術館、汝窯の展示場所は ガラス屋根で、光が射し込むようになっていたが、その日は曇り空で、魅力を十分に感じられなかった。お、展示中だ。
《 自然光に最も近いLED照明のもとで、それぞれの釉色の微妙な違いを味わうことが可能となります。 》
 http://www.moco.or.jp/exhibition/current/?e=366
 釉色の微妙な違い。北一明の焼きものは遊色の息を呑む変幻宇宙だ。

 中村雄二郎『述語的世界と制度』岩波書店1998年初版「第五章 自己・言語・生命」を少し読んだ。

《 構造主義の言語論が哲学に対して行なった根本的な問いかけにはさまざまものがある。だ、なかでも重要なものの一つは、 狭義のロゴスとことばのちがいを明確化したことである。これは、哲学のなかで永い間ロゴスとことばが同一視されてきた だけに、並々ならぬ意味を持っている。 》 261頁

《 古くからも、たしかに、《私は考える》(われ思う)と《私は語る》(われ言う)とは、思考と表現というかたちでは 区別されてはきた。しかし、いまや両者の区別は、そのようなものにとどまらない。さらに知的活動が自己掘り下げや私性の 徹底になるか、それとも、ときに自己を空虚にしてまで他者に向かって開かれたものになるか、という対極的な在り様として 現れるからである。 》 261頁

《 このイヨネスコの『禿の女歌手』は、内容を失った言語、つまりは〈考えること〉から切り離された〈語ること〉が いかなる様相をとるかを、鮮かに示している。まことにそこでは、ことばは、不条理になり、意味を剥奪されて単なる音の 表皮となる。さらには脱臼してそれを担う人間の主体は解体した。 》 268頁

《 だが、その問題に入るまえに、前節で問題にした──合理主義と結びついた──デカルト的〈意識〉に対してパスカルが とった態度について、見ておこう。 》 286頁

《 自然が形状と運動からなる機械としてとらえられるとき、パスカルはそこに、神の棲み家であった有機的コスモスや 濃密な意味の世界が失われることを、鋭く感じとったのである。 》 286頁

《人間は必然的に狂気 folie のうちにあるので、気違いでないこともまた、狂気の別の在り様からいって、やはり気違いで あることになるであろう》。この謎めいた断章は、これまで永い間あまり重視されてこなかった。 》 287-288頁

《 人間の在り様としての狂気の根源性および、狂気とそうでないものを区別する原理が相対的なものであること、この二つを めぐって言われていたのである。 》 288頁

《 このように、パスカルによれば、習慣や制度はすべての社会関係と判断の基礎であり、しかも相対的である。 》 289頁

《 このように、狂気と理性との分割の問題は、フーコーにはるか先立って、パスカルにおいて制度や習慣にかかわるものとして とらえられていたのである。と同時に彼は、〈フォリー〉(狂愚、狂気、愚かしさ)をおざなりなとらえ方ではなく、さまざまに しかも豊かな意味を持ったものとしてとらえている。 》 290頁

《 それにしても、《人間は必然的に狂気 folie のうちにあるので、気違いでないこともまた、狂気の別の在り様からいって、 やはり気違いであることになるであろう》というパスカルのことばは、『方法序説』第一部の冒頭にあるデカルトのことば《 良識つまり理性は、この世のなかでもっとも公平に分配されている》に比べて、およそ目立たないところに目立たないかたちで あったが、その重要性はいまいっそう大きくなっている。とくに〈自己と他者〉の問題とのかかわりでいえば、現代の人間の 存在状況にあからさまに描き出したイヨネスコの「禿の女歌手」において、家族まで一種の狂気のうちにばらばらになり、 互いに人間として見知らぬ他者になってしまったことと照応している。 》 290-291頁

 ネットの見聞。

《 衆議院は会議の場において喧嘩を致しておるから、国家のために相談することは出来ない。どんな良い議論でも少数党が出せば必ず敗け、 悪い意見でも多数党から出れば必ず通る。これは会議ではない。喧嘩であり、戦争である。『貧者及弱者の福音』 》 尾崎行雄bot
 https://twitter.com/Ozaki_Yukio/status/816809328313188353

 ネットの拾いもの。

《 店頭のワゴン、本箱は3冊100円です。代金は賽銭箱へ。追加入替頻繁。冷暖房なし、店内薄暗し。雨天、強風時は店舗営業してません。 通販部はほぼ毎日営業。電話は出られない時もあります。  》 書窓 古美知(ショソウコミチ)
 https://www.kosho.or.jp/abouts/?mode=from_top&id=45020290

《 tsundoku Japanese 積ん読 》 Seattle Mystery Book
 https://twitter.com/SeattleMystery/status/816810592811958277

《 #室外機コレクション 》
 https://twitter.com/hashtag/%E5%AE%A4%E5%A4%96%E6%A9%9F%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3?src=hash

《 津軽弁フランス語辞典 》 思いつきインフォメーション
 http://catincat.jp/information/dictionnaire.html

《 検索しようとしてGoogle開いた瞬間に何を検索しようとしてたか忘れるんだが 》

《 人から嫌な事をされたりすると結構根に持つタイプだったのが
  最近はすぐ忘れるので人間関係がギクシャクしなくなった
  この頃は凄く温厚な人って事になってるらしい 》

《 コンビニに自転車で行って
  徒歩で帰ってきたことならある

  その逆までいってないから、まだいいほうだよw 》