『現代芸術の地平』ニ

 市川浩『現代芸術の地平』岩波書店1985年初版、「芸術が開く世界」1968年発表、「感性の拡大のために──感覚についての二章」1976年発表を読んだ。目から鱗が落ちたり、じつに刺激的な論述だ。当時読んでも理解できなかった。この本が出た 1985年でも、どこまで理解できたか。今なら大方わかる(全部じゃない)。

《 いずれの場合にもわれわれの心が渇くのは、われわれが具体的な生の一部をしか捉えていないからであり、それを ひそかに予感しているからである。そして意識された生が具体的な生の兆にすぎないかぎり、兆は具体的な生の全体へと 超出されることをもとめる。しかしその超出は、生のかくされた深みへ向かってなのだろうか。それとももう一つの あらわな表面へ向かってなのだろうか。 》 37頁

《 実際芸術作品は、ものであると同時に、意味するはたらきとして、また表現としてそれ自身を超え出てゆく記号でも ある。 》 39頁

《 芸術作品は単なる実在ではなく、何かを表現する記号形態であるが、何かは、フォルムとしての芸術作品の外に あるわけではない。芸術家は実在的対象を消すことによって、具体的現実を虚在としてあらわに存在させるのである。 》  43頁

《 そこに対象に直面させ、適切な反応を起こさせるのを目的とする実用的・道具的な言語と芸術言語とのちがいがある。 》  44頁

《 具体的現実が一つの神秘であるとすれば、それは現実がわれわれの気づかない深みをもっているからである。 》 45頁

 ジャスパー・ジョーンズ星条旗アンディ・ウォーホールのキャンベル・スープ缶の絵について。

《 ここで追求されているのは、現実の深さを追求し、表現する垂直の超出ではなく、現実の任意性・不確定性を示す 横すべりの超出である。垂直のメタ化にたいして、いわば同じ次元での横すべりのメタ化とでもいうべきものがあるのだ。(略) 横すべりはむしろ状況にたいする問いかけとして出されるべきなのである。 》 48頁

 二人の作品に全く惹かれない理由はこれか。私は垂直の超出を求める。それにしても、横すべりならぬ上滑りの作品(?) のなんと多いことか。真平らなんてものもあるからな。

《 芸術作品はこうして生きられてはいたが、気づかれていなかった現実の意味や構造を虚構によって拡大し、感じうる ものにする。しかしそれは一方的な関係ではない。 》 50頁

《 現代の芸術家は、作品の開かれた不確定性を極限にまで押しすすめようとする。したがってここでは〈不確定性〉と 〈参加〉は、切りはなしえないものとしてあらわれる。 》 55頁

 このあたりから現代アートなるものが発生したか。

《 この場合小説家にとっての問題は、音楽のように、同時に二つのテーマを進行させることのできない文章言語を用いて、 知覚体験としては非現実的な同時性の体験を、どのようにして作品に現実化するかということである。 》 57頁

《 逆にいえば、同時性や重層性の表現は、文章言語や映像言語においてはきわめて困難であるだけ一層、もしそれが 成功すれば、ありえないことの現存として、いいようのない非現実的現実感を喚び起こすであろう。
  したがってそれぞれの言語形態が発見させる独自の現実は、その言語のポジティヴな表現能力に依存するばかりでなく、 ネガティヴな特性にも依存している。(略)したがって芸術言語の表現性は、その言語の表現可能性ばかりではなく、 表現不可能性にも依存するのであり、言語美学は、ある言語形態のポジティヴな表現性を分析するばかりでなく、ネガティヴな 表現性にも注意を払うべきなのである。東洋の美学に典型的にみられる空白、あるいは間(ま)による表現は、このような ネガティヴな表現性の一つの可能な方向を、徹底的に追いつめたものといえよう。 》 58-59頁

 現代詩ではあれかな、と思い浮かぶ作品はあるが、小説ではまだ見つからない。読み進める速度と同時進行性が噛み合わない。

 「感性の拡大のために──感覚についての二章」から。

《 印象派の画家たちが、その理論武装を介して、事物は固有色をもっているという伝統的な考え方の呪縛をのがれ、 感性を拡大したことは否めない。 》 70頁

《 有縁性をもたない感覚の仮設的な追求は、印象派がその端緒を切り開いたように、われわれを世界との癒着的な関係から 解放し、新たな世界像を生み出す。その反面この方向の純粋化が、世界とのつながりが失われたデラシネの袋小路へわれわれを みちびく可能性があることも事実である。 》 76頁

 現代アートの多くがデラシネの袋小路へ入っているような。いや自称アート作品が溢れているのかも。上記に続く結び。

《 それにたいして感覚の古層の追求は、無感動な伝統主義におち入らないとすれば、感覚の誕生の瞬間に立ち会わせ、 感性の歴史を再体験させることによって、感性に生命を吹き込み、それに拡がりと厚みをあたえる。これもまた世界を再建し、 世界を再創造するもう一つの道なのである。 》 76頁

 さて、それはどんな作品か。候補作品は浮かぶが、措いておく。じっくり検討する必要がある。恥はかきたくない。

 きょうの東京新聞篠山紀信の写真展(横浜美術館)の記事。篠山の発言から。

《 「横浜美術館は写真に理解があってたくさん作品を収集しているが、僕の作品は一枚もない(笑)。でもこれは正しい。 山口百恵さんは『GORO』だし、王貞治さんは『少年マガジン』の表紙。たくさん部数の出ているメディアに頼まれて、 僕は撮っているだけ」 》

 すげえ皮肉。

 ネットの見聞。

《 政府が通常国会に提出し、成立をねらう共謀罪って、どんなものか。わかりやすい図ですので、繰り返し投稿します。 「テロ対策」などが口実に過ぎないことが、よくわかります。 》 川上芳明
 https://twitter.com/Only1Yori/status/819667475834908672

《 五輪の誘致はテロ誘致と政府が公式に認めた。開催都市は未来への莫大な負債と認めている。本当に出場すべき行事か、 有名選手諸氏の良識が問われる。ていうか「スポーツは尊い」ってもうやめねえか? 娯楽だろ。 》 津原泰水
 https://twitter.com/tsuharayasumi/status/819704769652527104

 ネットの拾いもの。

《 沸騰するようなインパクトある書き込みの絵馬を讃える「絵馬煮える大賞」
  最初から最後までトップを独走したのは、これ

  「欲を満たす」

  しかも、T子と女性の署名。 》 霞流一探偵小説事務所
 http://www.kurenaimon.com/archives/2017/01/1122017.html

《 イギリスから来た友人(日本語ペラペラ)と話をしていて、「もうすぐ『平成』が終わるんだ」と言ったら、心底驚いていた。 その後、新しい元号は何がいいのかを議論したのだが、世界の人にも判りやすいということで、「寿司」に決まった。 》  大倉崇裕
 https://twitter.com/muho1/status/819801716577046528

《 朝、炊き上がった玄米ご飯を覗き込んだら、多数の穴の配列が発見された。ベナール対流が最後に固化したものと思われる。 六角格子を組むのか興味が湧いたので、やってみたが、どうも違うらしい。もっと巨大で薄い釜で玄米ご飯たかんと。 》  橋本幸士
 https://twitter.com/hashimotostring/status/820068101563695104