『加藤周一著作集5 日本文学史序説 下』三

 午後、「やまだひろなが作陶展」へ。初日に一人用急須を、最終日のきょう、林由紀子さんが二十年前に絵付けをした 徳利を購入。彼女の絵付けのマグカップや小皿はもっているけど、徳利は知らなかった。会場に来た林さんが『黄色い雨』が よかった、犬の物語が好きだと言うので、クラフト・エヴィング商會ほか『犬』中公文庫2009年初版帯付を贈ることを告げる。 晩、段ボール箱から取り出す。
 https://twitter.com/PsycheYukiko/status/838184440245309440

 『加藤周一著作集5 日本文学史序説 下』平凡社1980年初版 「第一○章 第四の転換期 下」を少し読んだ。

《 福沢(諭吉)は、国家に超越する価値──個人の自由独立、人と国との平等、文明──を信じた個人として、明治社会に おいいては例外であり、そpの超越的価値と現実主義とを均衡させようとしたという点でも、例外であった。たとえば 愛国心について、原理的には、それが「天然の公道」ではなく、「人間の私情」にすぎないといい切ることのできた人物は、 多くない。しかし世界史の実際からみれば、愛国心も国にとっての公道だろうと福沢は補足していた。 》 318-319頁

《 要するに一九世紀の先進資本主義社会を、マルクスが観察し、分析し、批判していたとき、極東では明治政府も、福沢も、 日本の「西洋化」の手本としていたのである。 》 320頁

《 その理路整然と痛烈な皮肉、観察の正確と分析の徹底は、おそらく英文の影響であった。しかしその文体の簡潔と集中性、 対句によって事の両面の対照を描きだす迫力は、模倣の対象としてではなく自己の血肉と化した漢文の影響なしには考えられない。  》 321頁

《 伝統的文化に対しては、福沢の態度の方が、(中江)兆民のそれよりも、徹底して革新的であったといえる。
  明治政府の権力に対しては、逆に、兆民の態度の方が、福沢のそれよりも、はるかに徹底して批判的であった。維新前に勤王 対佐幕の理論的対立に、全く興味を示さなかったらしい兆民は、民権対国権の論争には、民権の側にたって徹底的に係った。 》  326頁

《 また兆民はその平等の原理を、被差別部落民にも貫徹させようとしていた。彼はその解放を公然と唱えることの、もっとも 早かった知識人の一人である。 》 329頁

《 世界観における兆民と福沢との共通点は、両者が超自然をみとめず、全く世俗的な立場をとったことであり、その意味で、 日本の伝統的土着世界観から出発していたということである。彼らの「西洋」には、神がなかった。 》 334頁

《 「西洋化」の観点からも、一九世紀の日本の文学藝術を、維新前後に二分して考えることはむずかしいだろう。 》 340頁

 ネット、いろいろ。

《 【感じのいいひと】アメリカのエグゼクティブは、飛び抜けた美人やハンサムでありたいと思わない。 美貌は人に嫉妬や羨望を起こさせるためかえって逆効果。「感じのいい人」「感じのいい美女」が理想。 これを「グッドルッキング」と呼ぶ。 》 フランス書院文庫編集部
 https://twitter.com/franceshoin1985/status/837646994516631553

《 そういえば、松本清張が、女性を書くのが下手ですね、経験が足りないんじゃないですかと揶揄されて、あんた、 ミステリ書くのに人を殺せというのかと激昂した話がありますね。 》 赤城毅/大木毅
 https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/838052459180240896