『日本文化における時間と空間』三

 加藤周一『日本文化における時間と空間』岩波書店2016年19刷を読み進める。前半の「第一部 時間」を読了。慧眼だ。 深く考えさせられる。

《 なぜ豹変したか。維新前後、すなわち権力掌握前後で、状況が変ったからである。なぜ豹変することができたか。 「攘夷」ナショナリズムは、彼らにとって目的ではなく手段だったからであり、内面化された原理ではなく、外面的で 実用的な道具だったからである。 》 117頁

《 「攘夷」ナショナリズムが明治政府の指導者たちによって多かれ少なかれ道具化されていたことは、維新後に彼らが ためらわずにそれを捨てたことによってあきらかである。 》 118頁

《 そこでは誰もが「無私」の立場から公に殉じ、「和」を貴び、にぎにぎしく、みな一緒に、めでたく豹変し、変節する ことができる。それは便宜主義ではない。「私利」を目的として原則を捨て、立場を変えるのが便宜主義であるとすれば、 これは「無私」をタテマエとし、原則を捨てて立場を変えるのではなく、立場を変えることを原則とするのである。 》  122頁

《 要するに「御一緒」が重要なので、御一緒に何をするかが重要ではない社会。その社会の、「私」を無くして集団に 奉仕するのを美しいとする美学。その美学は、集団の目的を問わない。 》 124頁

《 果して一九四五年夏、「日本人」は集団的に、「みなさん御一緒」に、ほとんど一晩で生れ変った。昨日の軍国日本の 臣民は、今日の焼跡の平和主義者になった。「鬼畜米英」を叫んでいた隣組の活動家は、マッカーサー元帥の崇拝者に変った。  》 124-125頁

《 しかしその背景には、おそらく、過去を忘れ、失策を思いわずらわず、現在の大勢に従って急場をしのぐ伝統的文化があった、 と考えざるをえない。故にそこから抜け出すことは容易でない。 》 129-130頁

 一昨日昨日と肉体頭脳両方を酷使(私にとっては)したので、きょうは休養日。休養といっても買いものには出かける。 昼前半覚醒状態で自転車に乗り、敷布団カバーを購入。本屋は素通り。帰宅して北一明の茶碗を鑑賞。少国民だった北は、教師の たった一晩での平和主義者への豹変に絶望。信じられるものは土=焼きものしかないと思うようになった。彼の茶碗は、絵画で言う 絵具離れと同じ意味合いで、釉薬離れを感じる。絵具がどうのこうの、釉薬がどうのこうの、の以前にその表面に釘付けになる。 美の作用だろう。
 2014年3月7日の拙日録。

《 昨日、知人女性からある芸術家の死(それも数年前)を知らされた。ネット検索にひっかからないが、本当だろう。(略) 北一明「白雪釉茶碗」を手に乗せる。ほんわりとした白雪釉。残雪や胸に沁み入る土の色。 》
 http://d.hatena.ne.jp/k-bijutukan/20140307

 芸術家とは北一明のこと。その「白雪釉茶碗」を鑑賞。見込みに掛けられた釉薬は、二度掛けだろう。素地が仄見えるところと ぶ厚い部分とが混在する。あたかも雪深い山の春近い風景のよう。釉薬掛けの技に舌を巻く。そこまでは三年前には気づかなかった。

 さて、夕食は何にしようか。スーパーの寿司盛りにするかな。これは品物を見て考える。徒然なるままに食い物が浮かぶ。 おお、貰ったブラッドオレンジがまだ二個あったわ。よしよし。

 ネット、いろいろ。

《 三一書房 中井英夫作品集 全11巻 名作「虚無への供物」等  》 ヤフー・オークション
 http://page13.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r97935868

 スゲエ強気というか。

《 弘前で「自由すぎる」書道展 「北斗の拳」「残念な体の生き物」などテーマに 》 弘前経済新聞
 http://hirosaki.keizai.biz/headline/728/

《 安倍首相夫人が「私人」とは言えない根本理由 》 東洋経済オンライン
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170310-00162263-toyo-bus_all&p=1

《 昭恵さんを名誉ナントカにすれば、土地を安く購入できるという不動産屋を経営したら儲かる気がする 》 foot
 https://twitter.com/foot1994/status/840191153198702592