『日本文学盛衰史』つづき

 高橋源一郎日本文学盛衰史講談社2001年初版、論述的な記述から。坪内逍遥二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)。

《 既に文壇の大家であったにもかかわらず、逍遥はその年下の無名の青年の意見に耳を傾けた。逍遥が目指していたのは、 自ら名付けた通り小説「改良」であった。だが、二葉亭が考えていたのはまさに文学上の「革命」であった。逍遥はそのことが 理解できるほどに明晰であったが、その二葉亭の考えの多くは彼の理解を超えていた。 》 13頁

《 二葉亭は逍遥とはまったく逆に考えていた。言語にとっては「形」こそが「魂」にあたるのだ。二葉亭の想像力の根源は、 彼をとりかこむ世界への違和感からやって来た。 》 14頁

 日夏耿之介(ひなつ・こうのすけ)と伊良子清白(いらこ・せいはく)。

《 日夏の評論は文壇に深い衝撃を与えた。伊良子清白の名前はもう完全に忘れられていたからである。人々は争って『孔雀船』 再刻本を読み驚愕した。それほどの優れた詩集がどうしていままで忘却の淵に沈んでいたのか理解できなかった。 》 70頁

 国木田独歩(くにきだ・どっぽ)と田山花袋(たやま・かたい)。

《 独歩は花袋が置いていった本を手にとった。それは長谷川二葉亭四迷訳のツルゲーネフ翻訳集『片恋(かたこい)』であった。
  花袋が独歩の許を訪れる二週間前の十一月十三日に翻訳集『片恋』が春陽堂からひっそりと出版された。離婚問題で金が 必要だった二葉亭は、八年前に訳した「あひゞき」「奇遇(めぐりあい)」に新しく訳し直した「片恋」を合わせてようやく 一冊の本にしたのである。 》 136頁

 『片恋(かたこい)』。「卒業す片恋少女鮮烈に  加藤楸邨」の「片恋」をヘンレイと読んでいた。

《 独歩の先達たちが手に入れようともがき続けたもの、それは透明な散文であった。まるで映画のカメラのように、その陰に 作者が隠れることのできる散文。「内面」を探して地上をはい回っていた作者たちは、その重力なき言語によって、世界を 蒼空の高みから俯瞰することができるようになった。「内面」は世界を写すカメラの視線のこちら側にあったのである。明治 三十一年一月のことであった。 》 142-143頁

《 明治三十七年二月、田山花袋は雑誌「太陽」に「露骨なる描写」を発表した。その直前、小諸の島崎藤村を訪れた花袋は、 ふたりで「来るべき小説」について徹底的に話し合った。その直後の成果こそ、藤村の『破戒』と花袋の「露骨なる描写」 であった。二葉亭四迷の発想と文体、国木田独歩の実験を経て、日本自然主義はここにはじめて、その真の成果を小説と理論の 双方において産みだしたのである。 》 207頁

 川上眉山(びざん)。

《 ほんとうのところ、眉山は作家ではなく、作家の如きものであったのかもしれない。紅葉や藤村や一葉や透谷や鏡花といった 作家たちと立ち交わるうちに、自分もまたそのような作家の一人であると思いこむに至っただけなのかもしれない。だが、 そのことで眉山を責めることはできない。どの時代にも、数えきれぬほどの眉山たちが存在するのである。 》 546頁

 「帰りなん、いざ……」の章、571頁に柳田泉勝本清一郎・猪野賢二=編『座談会 明治・大正文学史岩波現代文庫六冊が 紹介されている。本棚にある。読まないだろうな。それは措いて。高橋は書いている。

《 「いまわれわれにいちばん身近な文学」
   ぼくはこの箇所に傍線を施す。「いちばん身近」? そもそも、身近なところに文学なんかあったっけ? 》 576頁

 最終章「きみがむこうから…」は、死者の列。

《 昭和二十一年一月十日(略)医師の名前は伊良子清白、本名を暉造(てるぞう)といった。享年七十歳。文学史家は彼に 最初の現代詩人の誉れを与えている。だが、その死亡記事を掲載した新聞は一つも見つからない。 》 594頁

 北一明の死亡記事を私は知らない。

 高橋源一郎日本文学盛衰史講談社2001年初版を読み始めた時、既視感を覚えた。関口夏夫・谷口ジロー「『坊っちゃん』 の時代」双葉文庫2002年初版だ。全五巻の第一巻の解説は高橋源一郎。その結び。

《 だが、いうまでもない。関口夏夫と谷口ジローの孤独な作業は、すでに、死者の中から、彼らを「再発見」していたのである。 わたしは、彼らふたりの、後を見よう見まねで追いかけていたにすぎないのである。 》

 昼前、源兵衛川中流部、源兵衛橋〜下源兵衛橋の茶碗やガラスのカケラを拾う。もう細かいものが殆ど。十キロほどになって終了。 石の上に羽化したばかりのトンボ。近付いてもじっと動かない。作業中にひらひらと飛んでいった。胴体が薄茶色。四枚の翅。 トンボじゃないかも。
 午後、源兵衛川下流部で観桜。薄桃色の花びらははらはらと川を流れてゆく。くらくらする。

 ネット、いろいろ。

《 「伝統」と見なされていることでもその始まりは案外新しかったりするよなあ、と思ったところで、じゃあ何年経過すれば 伝統と呼んでいいのかしらん、と日本国語大辞典を確認したところ、「伝統」という語の用例が20世紀以降にしかなかった件。 ちなみに仏教の方の「伝燈」は8世紀『続日本紀』から。 》 橋本麻里
 https://twitter.com/hashimoto_tokyo/status/852183087869870080

《 「希望」を語るのは難しいわ。「絶望」は簡単だけど。 》 大野左紀子
 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20170412

《 我が社で新入社員が「パソコン操作が分からない」というのは無理も無い。何せPC98が現役なんだから。 》 和白おじさん
 https://twitter.com/wajiro_ao/status/851760951510552576

《 「にわかには信じられないことかもしれないが」と書いたら憤慨されてしまったというお話が「ジワジワくる」と話題に  》  togetter
 https://togetter.com/li/1100223