『アウトサイダー・アート入門』再び、つづき

 椹木野衣アウトサイダー・アート入門』幻冬舎新書2015年初版、読了。あらためて瞠目。歴史、権力という広い視野から 美術を俯瞰、位置づけている。「出口なを、王仁三郎」は白眉だろう。

《 こうした過去が清算されぬ状況では、王仁三郎の残した絵や彫刻、書や陶芸が真の意味で再検討され、芸術家としての 名誉回復がなされたとはとうていいえない。巨人、出口王仁三郎は依然として「アウトサイダー」であり続けているが、 国家が王仁三郎の芸術を公的に保護して世に出すことは、みずから犯したかつてのあやまちを認めることにもなる。 戦争責任さえ清算されずにいるなかでは、政教分離の建前からも考えにくい。「アール・ブリュット」が福祉と教育にまつわる 健全な文化政策であるなら、なおや王仁三郎の出番はかえって減る一方だろう。しかし、いかに毀誉褒貶が絶えないにせよ、 出口なをと王仁三郎というまったくの対極にあるふたりの人物が、単に宗教家であるだけでなく、日本の近現代美術史のなかで 真剣に議論され、まっとうな位置づけを求める権利のある芸術家・美術家であることに、まったく変わりはないのである。 》  「出口なを、王仁三郎」 214-215頁

《 なぜか。アーティストであることを突き詰めれば、その人物がどのような属性のもとにあるかとはまったく無縁に、 不可避的にこの世界に居場所がなく、ゆえに孤独であるほかないからだ。ものを作ることはどこまでも個の仕事であり、 ほかの誰でもない、おのれ自身との直面以外ではありえない。どんなに作品の規模が大きくなろうと、いかに多額の予算が 費やされようと、このことを忘れて単なる「インサイダー」と化した瞬間、すでにかれはアーティストではなくなっている。 妥協なくアーティストでいるなら、どんなときでもおのれ自身に、そしておのれを取り巻く社会にも、完全に受け入れられることは ありえない。この点では私たちが日頃何気なく使っている「アーティスト」ということばは、本質的には「アウトサイダー・ アーティスト」の略称でさえありうる。アーティストがアーティストであろうと努めれば、すべからくアウトサイダーにならざるを えないからだ。 》 「ルイーズ・ブルジョワ」 228頁

《 結局、アウトサイダー・アートを「観る」ためには、その前に立つ者もまたアウトサイダーになるしかないのだ。そこから 得られた体験は、ほかの誰とも分かち合うことができない。アウトサイダー・アートが徹底的に独我的になることからしか導かれない 以上、そこから生まれる体験もまた、他者と共有することは本質的にありえないのである。しかし、逆にいえばだからこそ アウトサイダー・アートには、ほかのインサイダー・アートとは比べものにならないほどの強い吸引力が働くことになる。 》  「終章 アウトサイダー・アートの真実」 326-327頁

 味戸ケイコさんの1968,1969年制作の銅版画を思う。デビュー前の原点といえる作品。比べものにならないほどの強い吸引力。 それにしても凄い気合の著作だ。時折読み返して美術を観る眼を洗うだろう。私の眼は曇りやすい。

 午前九時でもう20.4℃。それにしても強風。ウールのカーディガンを洗濯。こんな厚ぼったい服を先だってまで着ていたとは。
 午後、味戸ケイコさんの絵や本を沼津市のギャラリー・カサブランカへ、オーナーの勝呂女史の車で運ぶ。明日が展示初日。

《 皆様のご愛顧に御礼申し上げます。次の3企画をもち店舗は閉店することにしました。他会場使用での展示会企画運営、 通信販売、Twitterでのご案内等は継続します。連絡先の変更はありません。4月20〜24日味戸ケイコ展  5月12〜18日林由紀子銅版蔵書票展 6月1〜5日牧村慶子展 》 Galleryカサブランカ
 https://twitter.com/ga_casab/status/852303285977403392

 ネット、いろいろ。

《 働くパパママ川柳 「カバンには パソコンスマホ 紙おむつ」 》 東京新聞
 http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201704/CK2017041802000234.html

《 自民党猪口邦子議員から送られてきた産経「歴史戦」英語本を、山口智美さんが読んでみた  》
 https://matome.naver.jp/odai/2144458054590800701

《 テロ等準備罪 計画中止でも処罰可能 政府が答弁書 》 NHK NEWS WEB
 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170418/k10010952741000.html

《 熊本の有名人
  内村健一(ねずみ講天下一家の会
  松本智津夫オウム真理教
  ホラッチョ・ショーンK
  山辺節子 ←いまここ 》