この数日いろいろな画家に遭遇。ある画家から絵は描かないのですか、と訊かれた。絵はデッサンも描きませんと答えた。 絵を描かないのに、どうして絵がわかり、画家の心理までもを見通してしまうのかが不思議だったようだ。画家たちによる 画家たちの批評を聞いてわかったこと。画家は自分の描き方に自信、自負、自尊いや唯我独尊が居座っている。この描き方で いいのだろうか、と疑念を抱く人は私の予想を遥かに下回り、ほとんどいないことを知った。作風を脱皮するとはよく聞くが、 それは作風であって、根本的な脱皮ではない。それは飽きたから服を替える程度の気持ち。生身はそのまま。自分の体を改造する くらいの意気込みというか、切迫した心持ちで変化に挑まなくては、見る人の心を揺さぶる優れた絵はまず実現しないだろう。 そこで効くのが自身の経験の豊かさだと思う。若い時から絵一筋でやってきた美大出の絵描きよりも、社会人を経験しながら 絵を描いてきた絵描きのほうが、大器晩成ではないが、人生の半ばを過ぎてからいい絵ができると思うこのごろ。
アンリ・ルソーに代表される日曜画家という言葉は、日曜日にしか絵筆をふるえない素人さん、という馬鹿にした言葉だが、 そんな日曜画家の絵が今や、名画として美術館の壁を飾っている。アンリ・ルソーの絵は現物を見たことはないのでうかつには 書けないが、アンリ・ルソーの絵は、私にはお世辞にもいい技術とは言えない。ところが名画。なんで名画なのか。原田マハ 『楽園のカンバス』新潮社2012年8刷で主人公はアンリー・ルソーの絵に対して述べる。
《 「この作品には、情熱がある。画家の情熱のすべてが。……それだけです」 》 252頁
《 世間の揶揄と嘲笑に耐え、自分の画法を貫いた画家。死後七十年以上も経ったいまでも、評価が定まらずに「税関史 (ドワニエ)」と呼ばれ続けている。遠近法も知らぬ日曜画家、といまだに言われている。 》 252頁
職業画家ならば技術があるのは当たり前のこと。その上にセンス、深い人生経験から熟成されたセンス、官能が必須だと思う。 上手い絵は世に溢れている。技術が際立つ絵は結局技術しか見所がないのだ。画歴は瓦礫と化してしまえ。私にとって重要なのは、 その絵、その作品が私に魅力があるか否か。金を出すのが惜しくないか、どうか。それだけ。『楽園のカンバス』から引用。
《 傑作というものは、すべてが相当な醜さを持って生まれてくる。
この醜さは、新しいことを新しい方法で表現するために、創造者が闘った証しなのだ。
美を突き放した醜さ、それこそが新しい芸術に許された「新しい美」。それが、ピカソの結論でした。 》 128頁
「醜さ」の内実を取り違えるととんでもない誤解へ逢着する。それは横へ置いて。絵を描かないのになぜ絵がわかるのですか、 とよく訊かれる。絵を描かないからこそ、絵がわかる(作者の意図がわかる)のだと思う。小説を書かない文芸批評家が小説を 批評することと同じことだ。絵画(小説)の制作現場から遠く離れているからこそ、視野が広がり、全体像が見えてくる。 東京に居続けると東京の全体像が見えにくくなるのと同じ。対象とはある程度の距離を保たないと、焦点がぼやける。
《 いま切実に欲しいと彼が念じているのは、闇の先を切り裂いてあたらしい光を浴びるような力ではなく、「ぼんやりと形に ならないものを、不明瞭なまま見つづける力」なのだから。 》 105頁
私も。
昨日、大岡信の明瞭な論調に疑念を漏らしたが、彼の論述からは多いなる恩恵を受けている。例えば『抽象絵画への招待』 岩波新書1985年初版。
《 「描く」という行為そのものに中に画家の存在自体がたえず賭けられており、画家の動く指の先端は、各瞬間における 彼と世界全体との接点であり、最高度の溶解点であるという認識──これは現代の抽象絵画を支える重要な信念の一つであると いってよいだろう。 》 63-64頁
私がはっきりと言葉にできなかった考えを明瞭なかたちにしてくれた論述だ。
北一明の『焼〆螺旋彫文「虚」』1982年(横21.5cm×高27.9cm)の印刷画像と一昨日触れた白砂勝敏さんの10センチ足らずの卵型の 一輪挿しを見較べている。北一明の、器の外面を鋭い切っ先でサッササッサとリズミカルに切り取ってできた何層もの凹んだ曲面からなる、 技の冴えと美意識が光る作品。対して白砂勝敏の、外面全体に浅い線刻が施された器。まるで原始土器だ。両者に北斎と広重の違いを 連想させる。すなわち近代人と前近代人。そして今、前近代が近代を濃霧のように包含しつつある、そんな直感。アンリ・ルソーなのだ。
《 ピカソがむしろ気になったのは、ルソーの「飢えたライオン」のほうでした。(略)
なんだ、これは、いったい。
セザンヌでもない、ゴーギャンでもない。過去のどんな画家にも、いま注目されている画家の誰にも似ていない。いかなる美術の 系譜にも属さないその絵に、ピカソの目は釘付けにされました。 》 『楽園のカンバス』127-128頁
んなことを田町カフェに行き、白砂さんに伝える。それにしても、そこで会った人からもフェイスブックしてませんか、と訊かれた。 してないよ。そんなに友だち欲しくないよ。
ネット、いろいろ。
《 (´-`).。oO(どんな策略を練ったとしても「正直でいることは最大の戦略」なんだよなー。 》 ろくでなし子 祝デコまん無罪確定!
https://twitter.com/6d745/status/860526793740222464
《 昨日、山梨県で安倍首相とゴルフをしていた増岡聡一郎・鉄鋼ビルディング専務は、これまで何度も首相とゴルフをしてきた親友のようだが、 私は中学時代3年間同じクラスだった。自宅を訪れたこともある。あれから40年がたち、全然違う人生を歩んできたことを痛感する。 》 原武史
https://twitter.com/haratetchan/status/860494081251606532
《 月初恒例のヤング編集長だより。後半は本文よりもキャプションのほうが字が多い。「かつてミスター年金と呼ばれたのは長妻昭、 そしてミスター粘菌は南方熊楠」に笑う。 》 urbansea
https://twitter.com/urbansea/status/860675813741535232