蔵本由紀(よしき)『非線形科学』集英社新書2007年2刷、前半「第一章 崩壊と創造」「第二章 力学的自然像」 「第三章 パターン形成」を読了。といっても、文系の頭には中途半端な、理解とも言えない、とりあえず読んだ。後半、 「第四章 リズムと同期」の冒頭。
《 空海の『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』という書物の中に「五大にみな響きあり」という言葉があるそうです。 中村雄二郎氏は、これを「すべてはリズムであり、すべては響きである」の意味に解釈して、私たちの生にとって、リズムや 同期がいかに根源的な重要性をもっているかについて述べています。これほど身近で重要なものでありながら、科学としての リズム現象は近年までごく未発達でした。 》 126頁
キターッ。
《 第一章では、ししおどしを最も単純な例に挙げながら、エネルギーの流れの中に置かれた開放系が持続的なリズムを 生み出すことを述べました。続く二つの章では、リズム現象を散逸力学系の立場から眺めました。特に、リズムの発生は ホップ分岐とよばれ、それを記述する一般理論が存在すること、そして、振動するベルーソフ・ジャポチンスキー反応に 見られるような開放系におけるリズムは、リミット・サイクル振動であることを見てきました。 》 126-127頁
前半部をこういうふうに簡略にまとめられるとありがたい。私には無理。ベルーソフ・ジャポチンスキー反応(BZ反応) のベルーソフの人生は心を深く打つ。
《 BZ反応が非線形科学の表舞台に登場するのは一九六八年以後ですが、それに先立つこの反応の発見の経緯には悲哀を 含んだドラマがあります。ボリス・ベルーソフは旧ソ連のモスクワ大学の生化学者でした。彼は一九五○年にこの「振動する 化学反応」を発見しましたが、そのときにはすでに五六歳でした。 》 93頁
《 そして翌年、その報告を「周期的反応とそのメカニズム」と題した論文を学術誌に投稿しました。しかし、「科学反応が 平衡へ向かう過程で振動するわけがない」との理由で掲載をことわられてしまったのです。(略)したがって、彼の発見は 海外には知られる由もなく、一九七○年にその生涯を閉じたのです。 》 94頁
《 ジャポチンスキーが後年来日したときに彼から聞いたところでは、彼は幾度かベルーソフと接触を試みたようです。しかし、 ベルーソフは人と会うことを極度に警戒していて、けっきょく実現しなかったそうです。それは研究上の不遇からベルーソフが 人嫌いになっていたからでは必ずしもなく、ベルーソフの知人たちが次々に政治犯として捕らえられていったという、当時の 厳しい社会状況が関係していたようです。 》 94頁
共謀罪成立後の社会を連想させる。それにしても常識を打ち破る仕事は黙殺される宿命のようだ。北一明のように。しかし 時代は変わる。東京新聞の特集記事、熊谷守一(くまがい・もりかず 1880-1977))。
《 黒田清輝に教えを受け、青木繁らそうそうたる同級生がいた東京美術学校西洋画科を主席で卒業した俊才。だが、売るための 絵が描けなかった。 》
《 一九三八年、画家仲間の浜田葆光(ほこう)がセッティングした墨絵の展覧会が転機になった。各地を巡回し、名古屋で美術 コレクターの木村定三に見いだされる。木村は作品を高く評価し、本格的に絵で生計を立てられるようになった。なんと五十八歳 のころの話である。 》
林由由紀子さんは五十八歳。おお。
午後、沼津市のギャラリー・カサブランカへ自転車で行く。林由紀子さんの銅版画『薔薇に棲むもの』を購入。見回すと、 陶器の茶入れを収める仕覆(しふく)が目に留まる。これも購入。帰宅してさっそく北一明の茶入れを収めてみる。ちょうどよい。 先だって購入した白砂勝敏さんの卵型の一輪挿しもピッタリ。色合いからはこのほうが合う。結び方は我流で。
http://www4.tokai.or.jp/g-cb/index2.htm
ネット、いろいろ。
《 「軽自動車は軽油で動く」ってる奴らはその理屈だと霊柩車が何で動くか考えておいて 》 バイオ会社員dark side
https://twitter.com/yakanifu/status/862871277278711809
《 新村出編から安倍晋三編に変わるのか。
「そもそも」の新しい語釈、「云々」の新たな読み。
楽しみだ。 》 トムジィ
https://twitter.com/tomzt1026/status/863309331004915713
《 資本ケーキ 》 お鯛
https://twitter.com/otto_morgen/status/863035136350212096
《 警官 「このケーキを食べるとどんな味がするの?
石丸元章 「資本主義の味がしました」 》