『赤の組曲』

 土屋隆夫『赤の組曲講談社文庫を再読。といっても以前読んだのは昭和の時代だと思う。題名にかかわる逸話だけを 覚えていた。謎が謎を呼び、謎また謎に惹き込まれてゆく。着地点が見えない見事な本格ミステリだ。解決の糸口となる一つの 鍵言葉は途中で思い出した。傑作だ。1966年初刊。

 午後のお散歩。源兵衛川上流部の右岸の凹みは二箇所ある。下の凹みにも魚の子がいた胴体が黒く太い。上の凹みの魚はまだ小さい。 魚はハヤかオイカワかメダカか。掬って観察すればいいけど、面倒。

 ネット、いろいろ。

《 土屋隆夫
  「影の告発」
  「危険な童話」
  「赤の組曲
  欧米のデッドコピーから始まった日本の探偵小説史において、高度経済成長時代に知性と真摯さと浪漫の三位一体が具現化した到達点。  》 猟奇の鉄人
 https://twitter.com/kashibaTIM/status/876570060566831104

《 黒死舘の教養文庫版(青空文庫の底本)は松山先生の後代の人に間違えた知識を与えてはならぬの方針のもと独自の変更が随所にあるので、 虫太郎の手が最後に入った新潮社版の流れを汲む他の版とは異なるので注意、ということは口を酸っぱくして言ってますが。 》 絹山絹子
 https://twitter.com/quinutax/status/876358590067490816

 本棚には桃源社、ハヤカワ・ミステリ、現代教養文庫講談社文庫、河出文庫があるが、既読は桃源社版。次回は河出文庫にしよう。 活字も読みやすい。

《 森茉莉はほぼ読んでないです。『甘い蜜の部屋』は後半まで行って放置したような。何かが合わなかった、のか、それすら覚えていない。  》 藍川蘭
 https://twitter.com/ran_aikawa/status/877152173397729281

 同じ人がいた。

《 『アート:”芸術”が終わった後の”アート”』 (松井みどり、2002)には「もはや”アート”は”芸術”ではない」 (芸術という古い言葉では現代のアートは捉えられない)とあったが、「アート」があまりにも軽くなってしまったからか、 最近「芸術」という言葉が意識して使われているように思う。 》 大野左紀子
 https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/877426006629404673

《 「私はずっと既成の価値観や習慣、曖昧な常識といったものを拒絶することで表現を模索し続けてきました。 そのための様式として重要だと思うのは、融合、不均衡、未完成、消去、そして意図の不在です。」 》 川久保玲
 http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/2297.html

《 たまたまアート(技芸)に縁が薄かった人々は、制作をも鑑賞をも「自己表現/自己肥大化」と誤解するが、実は 「非自己表現/非自己受容」であり、同様に、「理解」ではなく「理解外への投企」であり、「思考・情動の実現」ではなく 「思考・情動そのものの組み換え」なのである。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/877660259011121152

《 ビジュアルを想像してなごんだジョーク(?)「○○さんは毎日ネットを通じて現政権にしっぽを振ってるのに、 なかなか認めてもらえないね」「そりゃあ、総理の前には何百万本ものしっぽがいっせいに振られているんだもの」…… 雑な合成画面で見てみたい気もする。 》 芦辺 拓
 https://twitter.com/ashibetaku/status/877578949760397312

《 安倍川危険水域 》