「厚い記述/薄い記述」

 昨日の東京新聞、文化欄の記事は興味深い。右の鷲田清一「厚い記憶」「震災遺構をめぐって」から。

《 米国の文化人類学者、クリフォード・ギアーツは、「厚い記述/薄い記述」という、ギルバート・ライル(哲学者)の概念を 文化についてこんな喩え話をしている。(中略)まぶたの運動としては一つである。が、その意味は一つに収束させようがない。 解釈をこのように多重にしているのはそれぞれの脈絡(コンテクスト)であって、それらを厚く記述することが文化の解釈には必要だと、 ギアーツはいう。 》

 コラム「大波小波」を挟んで左には「DAN FLAVIN(ダン・フレイヴィン」展への黒瀬陽平の評。

《 抽象表現主義ミニマリズムのように、アートがアートとしての純粋性や自立性を求めていく価値観は「モダニズム」と呼ばれる。  》

《 かつてモダニズムは、宗教に対してほとんどアレルギーに近い拒否反応を示し、宗教を前近代という暗闇へ押し留めようとした。 しかしそれは結局、いつのまにか、思いもよらぬところから宗教性が回帰する、という事態を招いただけだった。(中略)であるなら、 モダニズムを経た上でなお、宗教とアートとはどのように関わりうるか、という課題こそ考えねばならない。 》

 この評文には上記の「薄い記述」のような印象をもった。芸術はもっと広く複雑、錯綜していると思う。

 六月は年下の美術家、評論家の多くの言説に出合った。その中で強く共振したのは、以前からの椹木野衣(さわらぎ・のい)と 『文化のなかの野生』の中島智(なかしま・さとし)。黒瀬陽平の他数人が視野に入った。波が押し寄せている。美術・芸術の歴史は 更新されるだろう。どのように更新されるのか。あるいは退場(退潮)するか。革新か更新か。興味深い時節に入った。
 https://twitter.com/noieu
 https://twitter.com/nakashima001
 https://twitter.com/kaichoo

 白砂勝敏さんからメール。

《 今回のまちなかアート セメントシリーズ大御所たちにも好評なようで!(^^)!
  意外と水彩画を褒める画家さんが多くちょっと驚きです^^
  特に芸大出てるような方が評価してくれるので2重に驚きですwww 》
 http://ameblo.jp/steampunk-powerstone-art/entry-12283867114.html?frm_src=thumb_module
 http://shirasuna-k.com/gallery/two-dimensional/

 ネット、いろいろ。

《 まず頭で考えない。わかるまで待ちます。きっと答えは既にある、という前提で思い出すように待ちます。 それが、時代とのシンクロニシティを一番見つけやすいのです。 》 高城剛
 https://twitter.com/takashiro_bot_/status/878742909998071808

《 光岡先生を見ていると白川静先生の「述べて作らず=無主体的な主体」を実践していることがわかります。 「伝統は運動をもつものでなければならない。運動は、原点への回帰を通じて、その歴史的可能性を確かめる。 その回帰と創造の限りない運動の上に、伝統は生きてゆくのである。」(『孔子伝』) 》 内田樹
 https://twitter.com/levinassien/status/878726991721013248

《 1万人の脳画像でわかった 40歳からの脳の鍛え方 》 加藤 俊徳
 http://bunshun.jp/articles/-/2667

《 昨日ようやく籠池のおっさんに長めのインタビューできたんやけど、「考えてみいや。僕とこの家宅捜査、 5箇所それぞれ十二時間やで?で、電通、あの大きな会社の家宅捜査、たった1箇所で3時間やて。どないなっとんねん」 とか言ってて、思わずわろうてもうた。 》 菅野完
 https://twitter.com/noiehoie/status/878760561575473152

《 愛猫家 and/or 蔵書家の方にお伺いします。我が家でお猫様を飼う機運が盛り上がっているのですが、 お猫様と本が平和裡に共存することは可能なのでしょうか?
  ご教示頂けると助かります。 》 猟奇の鉄人
 https://twitter.com/kashibaTIM/status/878750274399096833

《 座右の銘スマホいじってるような奴が世界一になれる訳がない」(^_^) 》