『中動態の世界』6

 國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』医学書院2017年5刷、「第7章 中動態、放下、出来事──ハイデッガードゥルーズ」を読んだ。

《 意志の概念を徹底的に批判し、能動と受動を対立させる言語の問題点を明らかにしたのが、ニ○世紀ドイツの哲学者、 マルティン・ハイデッガーである。 》 200頁

《 能動と受動に支配された言語は行為の帰属を問う言語であり、それはハイデッガーの言うように意志の概念と強く結びついていた。 ハイデッガーは意志の概念を強力に批判し、能動と受動に支配された言語の外側を目指した。 》 216頁

《 ドゥルーズには徹底した動詞の優位がある。それは行為からではなくて出来事から言語を考察しようとする彼の哲学の プログラムから導き出された必然的帰結である。 》 223頁

 「第8章 中動態と自由の哲学 スピノザ」を読んだ。

《 スピノザは、能動態でも受動態でも説明できない観念があることに気づいており、しかも、それが重要な観念であることを 意識している。 》 236頁

《 スピノザ哲学の核心には、われわれの言語、いわゆる能動と受動に支配されたこの言語ではうまく説明しきれないものがあるのだ。 》  240頁

《 神という実体の変状は、「変状 affectio 」という名詞だけでなく、「 afficitur 変状する」という動詞によっても説明される。 これは、「働きかける」「ある状態におく」「刺激する」「影響を及ぼす」などを意味する afficio という動詞が受動態に活用した ものである。 》 241頁

《  afficitur の指し示す事態も同様である。この表現は神が一つの過程のなかにいることを示している。 》 242頁

《 スピノザが構想する世界は中動態だけがある世界である。内在原因とはつまり中動態の世界を説明する概念に他ならない。 》  243頁

《 先に見た通り、スピノザの考える因果性、中動態において捉えられた因果性の概念においては、原因は結果において自らを 表現するのだった。 》 256頁

《 一般に能動と受動は行為の方向として考えられている。行為の矢印が自分から発していれば能動であり、行為の矢印が自分に 向いていれば受動だというのがその一般的なイメージであろう。それに対しスピノザは、能動と受動を、方向ではなく、質の差として 考えた。 》 257頁

 スピノザに関しては誠に驚くべき読解がなされており、短い引用ではその驚嘆する内容を十全に覆うことは無理。この著作の白眉だろう。

 買いものは快楽だ。美術品を買うのも同じ快楽だ。美術品は服飾品と違って身を飾って自分を自慢するものではない。けれども、 こんな凄いもの=高価な品、稀なる作品を所有しているという優越感を満たすモノという点では服飾と違いはない。服飾と違うのは、 美術品の価値への審美眼の優越性にあるのかも。しかし、その審美眼といえども既成の芸術観に沿った審美眼=知識の集積だけな人が ほとんどだ。人気作家の値段の高い作品を購入することで自尊心を満足させる体の、アートビジネスのレールに乗って騒いでいるだけ。 そこには芸術の枠組みを変革しようという野心も野望もない。既成の価値観に沿ってお値段の高い作品を購入して、スゴイ、と羨望され、 セレブの仲間入りをしたいだけの話。123億円はその入場許可証。みっともない。
 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG19HB1_Z10C17A5000000/
 この小さな書斎には何点かの美術作品が入れ替わりに床に置かれ、壁に掛けられている。味戸ケイコさんの四十年前の小さな絵画。 林由紀子さんが小体な徳利に呉須で描いた河童の絵。白砂勝敏さんが何だかわからないけど紙に描いたアンフォルメルな線描水彩画。隣の 和室の棚には北一明の盃と内野まゆみさんのミニアチュール板絵。これらは私にとっては掛け替えのない美術芸術作品。そう、遠い将来 「これは何だ、スゴイ!」と感嘆されるだろう、と予想(期待)する作品群。未来に評価される(だろう、べき)品物。それくらいの 壮大な構想あるいは野心、野望をもって、作品を購入している。今現在人気のある作品を購入するのは、愚の骨頂。そんなことを昨夜、 酔っ払ったオツムで思った。価値の創造こそがエキサイティングだ。

 柏倉康夫『新訳 ステファヌ・マラルメ詩集』が株式会社フランス図書から届く。限定100部のうちの66番。いい番号、いい本だ。
 http://urag.exblog.jp/237151566/
 近くの本屋で東浩紀(あずま・ひろき)『ゲンロン0 観光客の哲学』ゲンロン2017年2刷帯付を受け取る。
 それにしても暑い。異様にきつい陽射しだ。用がなければ外出はせんわあ。

 ネット、いろいろ。

《 その中から上半期一位をあげるなら、みうらじゅん『「ない仕事」のつくり方』(文藝春秋、2015)である。

  「ない仕事」をつくり出す、それがみうらじゅんの仕事術だ。 》 平野雅彦
 http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/2305.html

《 今日の臨時会冒頭で田中委員長は、トリチウム水の海洋排水・廃炉に伴う廃棄物の県外搬出が可能なのか、やるつもりがあるのか、 東電の考えを示すように迫り、会長を回答不能に追い込んでいた。「検討だとか一般論は聞いてもしょうが無いし、意味が無い」との主旨も発言。 従来と異なる「気迫」を感じた。 》 春橋哲史
 https://twitter.com/haruhasiSF/status/884243935018614785

《 「おいしい蕎麦」も「おいしいうどん」も、具体的に存在する。しかし「おいしいラーメン」は存在するのか。「おいしいラーメン」 などというものは、言語ゲームの内部にしか存在しないのではないか、という疑いが晴れない。 》 黒瀬陽平
 https://twitter.com/kaichoo/status/884628260079796224