『日本政治思想史』三

 原武史『日本政治思想史』放送大学教育振興会2017年2刷を読了。簡明簡潔な文章にして、深い。感銘。

《 裕仁自身は、東京のほか、大阪や京都を訪れたときを除いて、公共の空間で基本的に肉声を発しませんでした。第2章で 触れたように、君主が言葉を発するよりも、臣民が無言の君主の前でさまざまな「奉仕」を行うほうが、「臣民一体」感は 高まります。それだけではありません。君主の発する言葉は当然日本語であり、その言葉は日本語のわかる人々にしか理解されない のに対して、「奉仕」の一環としての敬礼や万歳、旗行列、歌の斉唱、分列行進などは、日本語の通じない人々にでもできるため、 異民族が多く住む植民地における統治にも応用できるわけです。 》 186頁

《 天皇制はナチズムやファシズムと異なり、派手な建築に訴えなかったからこそ、空襲によって全国が焦土と化し、敗戦によって 政治体制が大きく変わった占領期にあっても、国民の圧倒的な支持を得たともいえるのです。 》 192頁

《 つまり、「国体」は「万世一系」の天皇を統治の主体とする概念ではあっても、言説によって教義や世界観をはっきりと定義する ことができず、「君民一体」の空間を通して視覚化されることで身体ごと実感されるものであったがゆえに、潜在的にはあらゆる思想と 両立し、無限に抱擁することのできる可能性をもっていたわけです。 》 200頁

《 敗戦後の昭和天皇は、日本人に宗教心がなかったことを反省しています。神道は宗教としての資質がなかったことを、天皇自身が 認めたのです。 》 203頁

《 戦後の政治思想史は、「アメリカ化」と「ソ連化」がせめぎあう過程としてとらえたほうが、アメリカとは異なる政党政治が 確立される現実の政治を考察する上でも有効だと思います。 》 232頁

 午後自転車で外出しようとすると雨。無情の雨〜。徒歩で帰宅すると止んだ。

 ネット、いろいろ。

《 僕たちは「尋問する言語」に支配されている │ 國分 功一郎/千葉 雅也 》 幻冬舎plus
 http://www.gentosha.jp/articles/-/8343

《 ディスプレイとは異なり、紙は発光しないから、「暗いおもちゃ」(稲垣足穂)である、本という物体。 「書物が暗さをもってそこにあった」(鈴木一誌)。本の持つ大きな可能性は、暗さの中にぽつんと佇むこと。 他者に見出されるのを暗さの中で受け入れる、その時間を内包する。 》 soichi takahashi
 https://twitter.com/soichitakahash1/status/889521834223259648

《 マッド・マックス・ローチ 》 いかふえ
 https://twitter.com/ikafue/status/889569306773602304

《 「菓子折や贈答品を着払いで返送する小泉純一郎」vs「設置認可申請中の法人代表者と毎月ゴルフ&会食する安倍晋三
  そりゃね、疑念が生まれるのが当然です。 》 菅野完
 https://twitter.com/noiehoie/status/889992819556851712

《 オリンピックと言えば、ただで人を使ったり、資材を供出させたりできると、勘違いしているリーダーが大勢いるということか。 》

《 「この国の行政は、なぜか記録の管理や公表を軽んじるくせに、とてつもなく記憶力が低い人達が実権を握って行なっている。」 》