審美書院 VS. 國華社

 6日と10日に記したが、審美書院の画集二冊、『光琳派畫集』明治36(1903)年初版、『文人畫三大家集』明治42(1909)年初版を合計、送料込み 二万一千六百円で入手できて明治期の木版画探求は一件落着、と思っていた。そんな折、高級美術雑誌『國華』國華社の「第百八十三號」明治38(1905)年、 「百九十三號」明治39(1906)年を見つけてしまった。この号までは持っていない。3500円、3000円で入手。どちらも保存状態が良く満足。が、後者6月1日 發行の巻末に挿入された一枚広告を見て驚いた。「本朝三十家名畫集  近日發行」。おいおい、そんな画集、出ていたのかよ。知らなかった。広告文全文。

《 本書は我邦の美術が宗教の羈絆を脱して其の眞面目を發揮し来たりし平安朝末期より徳川時代の末に至る殆ど千年間に於ける繪畫史上最も有名にして 代表的なる畫家三十人を撰びて其の傑作を集めたるものにして木版十九葉、寫眞版三十一葉より成る、此等の圖版は皆な曾て雑誌「國華」に挿入して大方の 高評を博したるものにして、其の複製の精巧なるは本社が敢て世に誇負する所なり、されば本書は直ちに以て國華全部の抜粋とも見る可く、美術史家が座右の 参考書として一日も離つ可からざるは固よりなり、其の装釘亦優雅高尚を極めたれば貴紳が応接室客間の装飾品として、又た交友への贈物として之に過ぐる ものなからむ、今や印刷略ぼ成り、日ならずして世に發行するを得、江湖の愛賞を博すべきは本社の豫め期侯する所なり。  國華社 》

 「木版十九葉、寫眞版三十一葉」には強調傍点の○が付いている。調べてみると一点見つかった。買うしかない。送料込み二万五千円。昨日届いた。 明治39(1906)年7月25日發行。保存状態は良い。満足。
 さて、審美書院『光琳派畫集』明治36(1903)年初版と國華社『本朝三十家名畫集』明治39(1906)年初版を並べてみた。大きさはほぼ同じで三方金。 重さは『光琳派畫集』三キロ弱。『本朝三十家名畫集』が三キロ。『光琳派畫集』には多色摺り木版画七葉。『本朝三十家名畫集』には多色摺り木版画十九葉。 競ってるわあ。なお所有する『光琳派畫集』は日本語だが、英語版もある。『本朝三十家名畫集』は英文併記。これは審美書院が海外への売り込みを視野に入れているのを見て、 國華社が英文表記を取り入れたもの。『國華 百九十三號』明治39(1906)年には別の折込広告「改正發行 英文國華 第百九十三號 六月一日發行」 がある。広告文から。

《 今や全く其體裁を一新し以て外人の我美術を研究する者の爲系統的なる知識の誘導を努めんとす蓋し我國は戦勝の結果萬般の事悉く其規模を改善するの 必要に會し特に美術の如き久しく其精英を外邦に誇りしものに關しては更に一段の經營を用ひて益々發展の増大を望むべきや明なり此際に於ける改正英文 國華の發刊は機宜を得たる適當の擧たるは我社の自ら信じて疑はざる所なり 》

 さらに驚くべき一枚が挿入されている。「國華に對する世界の批評抜粋」。両面印刷。「英國『デーリー、テレグラフ』は曰く、」「米國『イヴニング、サン』 は曰く、」倫敦『タイムス』は曰く、」など八社に続いて「英國皇立美術會の總裁にして、且つ同國一流の畫伯たる、サー、エドワード、ポインター氏は、 「國華」の寄贈に對して懇切なる謝辭を述べ、且つ評して曰く、」など壮観。審美書院への対抗意識丸出しだ。
 所持する國華社『本朝三十家名畫集』明治39(1906)年初版は帙が欠けている。審美書院『文人畫三大家集』明治42(1909)年初版は帙がある。 『文人畫三大家集』のほうが『本朝三十家名畫集』よりも一回り大きい。重さは殆ど同じ。審美書院が切り返した気配。三冊並べてみると実に面白い。
 『國華 百九十三號』明治39(1906)年は、定価一円七十五銭。『英文國華 百九十三號』はニ円。が、『光琳派畫集』『文人畫三大家集』 『本朝三十家名畫集』の刊行時の値段は記述がなくて不明。
 これら精密精緻な多色摺木版画を観ていると、実際の絵は殆ど未見だけれども、この木版画にぞっこんになる。複製画なのに。いや、複製画なのにという 発想がおかしいのだ。松岡正剛の一文に出合った。

《 つまり模型は「にせもの」であって「イミテーション」であって「フェイク」なのである。けれどもデフォルメは嫌われる。だから精密な模型が多く、 それをちょっとでもつぶさに見てみると、なんだか細部が異様にヴィヴィッドに訴えてきて、どこか「本物まがい」なのに「本物はだし」なのだ。 その本物まがいであること、紛いであるのに「本物らしい」ということの反証力に、しばしば合点してしまうのだ。 》 松井広志『模型のメディア論』
 http://1000ya.isis.ne.jp/1648.html

 ネット記事で思い出した。昨日、私は江利チエミだと思い、友だちは堀ちえみだと思い、本当はブルゾンちえみだった。

 ネット、いろいろ。

《 結局、コストをかけないから、ちゃちな本しかできず、ちゃちな本だから誰も買わず、売れなくて利益が出ないからコストがかけられず、つぎは、 もっとちゃちな本しかつくれないという悪循環に陥ってるんだよなー。 》 赤城毅
 https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/901448566664605697

《 戦後70年も続いて来た世界的な枠組みが、いまゆっくりと融解しようとしています。これは、なにかをしよう! とお考えの方にとっては、 とても良いチャンスだと思います。しかし、なにも考えずに日々を生きていると、融解する渦に巻き込まれ、奈落の底までたたき落とされることに なるかもしれません。 》 高城剛
 https://twitter.com/takashiro_bot_/status/901337886057836545

《 繰り返すが、鑑賞体験とは〈理解できない他者〉と対峙するトランスフォーマルな体験である。自己変容を伴わず、どう見えるか/どう解釈できるか といった関心に自閉するのであれば、ロールシャッハ図形や壁のシミでも眺めていればよい。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/901406335001960448

《 「オーディオ平八郎のLAN」で笑った、ということは学校の勉強が役に立ったという事だ。勉強すると笑いも増える。 》 ヤギの人
 https://twitter.com/yusai00/status/900858103742177280

《 trump up に「捏造する」という意味があることをいま知った。 》 森岡正博
 https://twitter.com/Sukuitohananika/status/901005575516962817