『実在への殺到 Real Rush』

 清水高志『実在への殺到 Real Rush』水声社2017年初版を少し読む。難解でない言葉遣いで二十世紀哲学の言説を転倒させる論述。今世紀の哲学の前衛は 全く知らないので、未知の哲学者の名前にまずオタオタ。けれども丁寧に論を展開しているので、かろうじて脱落せずに、取り敢えず読み進めることができる。 といって半分も理解できてはいないが。これまたニ読三読してなんとか理解のトバ口に立つ予感。けれども、論述自体は真新しい見解で、そういう考えもあるか、 とワクワク。下手をすればドン・キホーテの空理空論と嗤われかねない。でも、実感として、アリ、だ。”Real Rush”は辞書では東奔西走とか。ここでは ”実存への殺到”の意味で使っているのだろうか。全然違ったりして。それにしても読むのが遅い。急いて読むものではないな、この本は。

《 これに対し、単自然主義が前提としているのは、不変で「同一の」《自然》に対して、複数の主体がぶつかり合い、その能動性の優位を競い合うといった 意味での相対化である。 》 26-27頁

《 多自然主義の視点は、現代の社会や経済活動の成りたちについてさえ、その理解のための別の指針をもたらしうるものなのだ。 》 27頁

《 さて、これから私が論じたいのは、人間の定義そのものに変更を迫るようなモノについてである。こうしたモノを、本稿では便宜的に《道具》と呼んでおく ことにしよう。 》 41頁

《 モノもソフトウェアも欠いた人間というものは考えられない。個々のモノや情報、貨幣、人間がそれぞれに《道具》として機能し、さらには貨幣までが フォーマットとして機能してこそ、どこまでも多極的な世界が成立するのである。 》 50-51頁

 残暑きびしい朝、JR東海のさわやかウォーキングの人たちがぞろぞろ歩いていく。私は源兵衛川の月例清掃へ。作業を終え水の苑緑地で休んでいると、 途切れない人人人。へえ〜。帰宅。水を浴びる。
 午後、松毛(灰塚)川の放置竹林の伐採作業へ。都留文科大の学生たちと協働作業。若い子はパワフル。午後四時過ぎ帰宅。水を浴びる。

 ネット、いろいろ。

《 「この世でもっとも新しいもの、それは、とことん時代遅れになったものの中にしかない」というのはファションに限りません。文学、思想、社会制度、 みなしかりです。 》 鹿島茂
 https://twitter.com/_kashimashigeru/status/906292802249678848

 明治後半の木版画木版画入り本。現在それを再現できる人はいない。

《 1960年の安保条約の改定交渉の記録はほとんど黒塗りなしで公開されているのに、並行して行われた行政協定(60年から地位協定)の交渉記録を 開示請求したらこの通り、真っ黒け。地位協定に関しては、半世紀以上経っても国民に公開できない秘密がたくさんあることが分かる。 》 布施祐仁
 https://twitter.com/yujinfuse/status/906103142973968384

《 ようやく横トリみたけど、すべてがぼんやりで、なんかもう、批判する気も萎えてしまって、悲しくなった。次回から大丈夫なんだろうか、、 》  黒瀬陽平
 https://twitter.com/kaichoo/status/906412254693810176

《 不倫問題、「けしからん!」などと言っている輩は、性的倫理を問題にしているのでは「なく」、「不倫はしてみたいけど、その能力がない」 という己のコンプレックスの裏返しの「やっかみ」にしか聞こえない。 》 土屋誠一
 https://twitter.com/seiichitsuchiya/status/905937043317862400

《 ただ「原発事故を起こした」だけでなく「事前に内部でも想定されていた津波対策を怠り」「原発事故の責任を経営者が全く取らずに逃げ」 「国民の納めた税金投入で経営破綻を免れた」東京電力に、また原発を再稼働し運転する資格があるのか、という話。 》 山崎 雅弘
 https://twitter.com/mas__yamazaki/status/906375464075149313