『震美術論』一

 椹木野衣『震美術論』美術出版社2017年初版を少し読む。

《 ここで言う安全神話とは、必ずしも工学上のインフラをめぐる安定のみを指していない。地震の平穏期に育まれてきた私たちの知や文化そのものが、 戦後(1948〜95年)の恵みとしてあった日本列島に固有の「耐震性」しか備えていないのだ。本書で取り上げる美術(構想、制作、発表、展示、批評、蒐集、研究、 教育、キュレーション……)も当然、例外ではない。いや、美術が空間芸術である以上、文学や音楽と比べたとき、耐震性の弱さは最たるものかもしれない。 だからこそ、西と東にわたるふたつの大震災を経た美術について、それ以前の「戦後美術」から区別して、より抜本的に考え直してみたいのだ。そこで鍵となるのは、 やはりあの西の大震災である。 》 「再考「悪い場所」(前編)」33頁

《 「悪い場所」とは、すなわち、(中略)内陸でも至るところ毛細血管のように岩盤にひびが入った日本列島そのものにほかならない。(中略) 「悪い場所」は たんなる比喩ではなく、いまではもう悪しき現実でもあるのだ。 》 「再考「悪い場所」(前編)」37頁

《 信仰の試練やその有無以前に、地面の質が根本的に違っているのだ。西欧では啓蒙思想の躍進を決定的なものとし、結果として、いまだ残っていた中性の残滓を 一掃する大きなきっかけとなったリスボン地震のような位置づけを、この国の震災は持ちえていない。 》 「再考「悪い場所」(後編)」56頁

《 逆に言えば、日本列島の民は、こんなときに掃いて捨てるほどいる神仏など頼りにしても、なんの足しにもならないことをよくしっていたとも言えるだろう。 そこでは、極限状態において宗教の果たす役割が、まったく違っている──震災の意味は、西欧ならびにキリスト教圏と日本列島とでは、かくも根底から違って いるのである。 》 「再考「悪い場所」(後編)」65-66頁

 ネット、いろいろ。

《 火山灰で原子炉冷却不能
  審査合格の5原発、大噴火時 》 共同通信
 https://this.kiji.is/282479210700801121

《 要するに明治憲法の矛盾は伊藤博文も重々承知して、革命を経たフランスではなく、ドイツ帝国による教会統制のための手法に倣った、というわけである。 それがいかなる道へ日本を導いたかは周知の通り。

  比較する意味で、明治憲法公布から十四年後、明治三十六年の『平民新聞』創刊の言葉を掲げる(『古河力作の生涯』より)。

  一 自由平等博愛は人生世に在る所以の三大要義也
  一 吾人は人類の自由を完からしめんが為に平民主義を支持す。
    [下略;身分と財産と男女差別の打破]
  一 吾人は人類をして平等の福利を受けしめんが為に社会主義を主張す。
    [下略;生産配分]
  一 吾人は人類をして博愛の道を尽さしめんが為に平和主義を唱導す。
    [下略;戦争の禁絶]

  日露戦争前夜のこと。この理想が、今日に至っても、成し遂げられる気配は見られない。 》 「河口から III」 daily-sumus2
 http://sumus2013.exblog.jp/28155544/

《 「黒死館殺人事件」本当に判ろうと思うと、40年かかる。作者は執筆に9ヶ月しかかかってないのに。 》 素天堂
 https://twitter.com/kliocity/status/909858511059771393