『本朝三十家名畫集』二十五圓

 昨日届いた美術雑誌『國華』百九十五号、國華社明治39(1906)年の折込広告に『本朝三十家名畫集』國華社の価格が表示されていた。

《 定價二十五圓但し「國華」一年分以上を豫約せらるゝ諸彦に限り定價一割引にて貴需に應ず 東京市外各地逓送料金五拾銭 》

 定價二十五圓は、現在の値段に換算するといかほどになるのだろう。『國華』百九十五号は壱円七拾五銭。明治四十年五月一日発行の雑誌『文藝倶楽部』博文館 は、定価二十五銭。現在の文芸雑誌は一千円ほどだから、『國華』はその七倍で現在の価格では七千円ほど。とすると定價二十五圓は約十万円。高価だ。そして 気になるのは、以前にも話題にした審美書院の『東洋美術大観』の値段だ。

《 参考までに国内での価格を記録しておく  価格改正の緊急敬告  「東洋美術大観は弊院最大出版なるが故に其編纂印刷材料の蒐集などに全力を傾注しつつありて 既に第四冊を発行せり 册一冊発行の進歩するに随ひ其内容は層一層完美を極め其結果出版費は殆ど予定の二倍の達し収支全く相償はざるに至れり 最上製  金五百拾貳円 上製 金四百拾五円 普通製 三百貳拾円」  》 【田島志一と審美書院】 山崎純夫
 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/artbooks/kusa13.html

 全十五冊の揃いの価格だろうが、換算すると気が遠くなる。実物を見てみたい。なお『國華』百九十五号は四千円で入手。

《 誠に筆舌しがたし美術本を造った人がおります。原画が絹本の場合は絹本に、金箔の場合は同じく金箔に着色木版で摺る。さらに色の深みを出すため八十度より 二百度摺りに及ぶ。精巧緻密な技術により複製した図版は数百頁に及び表紙は絹地に古画を摺り出し本となる。独立完成した美術品とも思われます。 》 同上

 そのとおり。そんな一冊を手にする喜び。

 偶然の連鎖はあるものだ。上記『國華』百九十五号の多色摺り木版画の挿絵は、柴田是眞『鬼女圖』。すげえなあ、としばし鑑賞して収納。そのすぐそばの本棚の 高橋克彦の本を眺めて中の一冊、『眠らない少女』角川書店を1992年初版を抜くと、函の絵が、あれ、同じ? 並べてみると微妙に違う。函の絵は『茨木図』。 金龍山浅草寺所有。『國華』のほうは武蔵国、王子稲荷神社蔵。人気の絵柄なのだろう。『國華』の解説から。

《 徳川時代の末に出て明治の始に於て盛名を博したる柴田是眞は我近世の藝術界に於ける一偉才なり。 》

《 蓋し此畫は天保十一年是眞が廿四歳の作に係り、其一代作品中秀逸のものなるは、是眞自身が其晩年に至りて幾度か此圖を試みたるも亦彼の如く會心のものを 得る能はざりしと云へるに徴するも明なり。 》
 http://www.kanko.city.kita.tokyo.jp/data/a/4-2.html

 百十年前に制作された『國華』の木版画では、はるかに良い保存状態。一世紀経つとこれほどに剥落、劣化するものなのか。

 昨日一時間早く目覚めたせいか、きょうはいつもより一時間長い九時間寝ていた。まあ、街は秋分の日、休日だ。静か。やがて墓参りの人出。
 東京新聞朝刊、文化欄の記事。黒瀬陽平「エクスパンデッド・シネマ再考」展(東京都写真美術館)評。

《 一般的に、戦後日本の前衛は、六○年代頃から極端に「ガラパゴス化」し、破壊的、反芸術的になったため自壊、そして七○年の大阪万博をもって終焉を迎えた とされている。しかし、エクスパンデッド・シネマのように、カウンターカルチャーという大きな文化現象を背景に、新しいテクノロジーを用いた世界的な アーティストが、六○年代の日本にもたくさんいたのである。その前衛の系譜こそ、今日のコンピューター文化にもつながる「正しい前衛史」なのではないだろうか。  》
 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2845.html

 ネット、いろいろ。

《 「人類みな表現者」の時代にこそ、クリエイティヴには「純度」が必要だ:笠島久嗣 》 WIRED
 https://wired.jp/2017/09/21/cha2017-hisatsugu-kasajima/

《 衆院 北朝鮮非難決議見送りへ 与党が不信任案提出を警戒 》 毎日新聞
 https://mainichi.jp/articles/20170923/k00/00m/010/095000c