尾形光琳「燕子花図」屏風

 机上の『光琳派畫集 第ニ册』審美書院明治37(1904)年には尾形光琳「燕子花図」屏風。一双は多色摺木版画、一双はコロタイプ印刷の白黒写真。金地に 紺青の燕子花のじつに鮮やかな対比に魅了される。多色摺木版画はじつに新鮮な色彩だが、白黒版では横一線に折れ線の痕のような空白が見える。

《 一方、尾形光琳の代表作の一つとして知られる「燕子花図」屏風(根津美術館)は、大正2年4月の「大谷家(本派本願寺)旧御蔵品入札第一回に出品された 作品であるが、写真から覗うことのできるその姿は、現状の同図とは差異がある。すなわち、この売立目録所収の図版では、画面各所に損傷の痕があり、その後 修理が行われたことは明らかである。ただ、図版と現状を比較すると、彩色の濃度、細部の図様に微妙な差が存在するところが看取され、この修理の際に一定の補筆、 補彩がなされたことで現状の姿になった可能性を想起させる。 》  高松良幸『売建目録所収美術作品のデータベース化とその近代日本における美術受容史研究 への応用』5頁
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~bunkazai/uritate100-houkoku.pdf#search=%27%E5%AF%A9%E7%BE%8E%E6%9B%B8%E9%99%A2+%E5%86%86%E5%B1%B1%E6%B4%BE%E7%94%BB%E9%9B%86%27

 先年、MOA美術館で観た時は、その描いたばかりのような保存状態にも感心したが、やはり修復、補筆の手が入っていたか。絵画の修復、補筆は、賛否両論。 これは小説にも言える。高村薫は『マークスの山』を後日、補筆(全面改稿)した。賛否両論。小説では改稿前の文章が本の形で残っているからいいけれど、絵画は そうはいかない。日光東照宮の三猿の修復のように、じつに難しい問題だ。
 それにしても、美術品の流転〜所有者の変転には驚くばかり。

 ネット、いろいろ。

《 先日の講義で「作られた伝統」について触れたら「意識的に形成された伝統もあるのか」とのレス。そもそも伝統文化はたえず創作され、 改変されつづけることで機能している。それは部族・伝統文化と呼ばれる社会ではじつにダイナミックだ。よって伝統文化保護政策が「改変しない」 指導をするのは大錯誤。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/911955694584086528

《 アートや文学や批評を楽しむコツは、これはどういう意味なのだろう?から、どうやって作るのか?どういうテクニックがあるのか?そのテクニックで 似たものを作ったらどうなるか?ズラして違うものを作るにはどういうテクニックを考えればいいか?という思考にシフトすること。作り手意識で鑑賞する。 》  千葉雅也
 https://twitter.com/masayachiba/status/911941641249816578

《 宮台真司とかああいう人が盛んに露出するので、社会学って若者論や若者文化論が盛んな学問分野なのかと思っていたが、どうも誤解だったみたいだな。 若者も子供も減って行くし、特に変わった新しい文化を若者が作っているようにも見えないし、地域の高齢化社会をどうするとかのほうが重要だよなぁ。 》  清水高志
 https://twitter.com/omnivalence/status/911900505529401345

《 「施設の新聞で字を覚えた少女」が絞り出す歌 》 肥沼 和之 東洋経済オンライン
 http://toyokeizai.net/articles/-/189328