『明治維新』六

 井上清『日本の歴史20 明治維新中央公論社1980年48刷を読了。

《 難局に当ってみじんも責任を回避しようとせず、いつでもみずから進んで全責任を負う大久保の政治的責任感の強さは、かれの政策に共鳴すると否とを問わず、 またかれの人がらない親しむと反反撥するとのかかわらず、何人もみとめないわけにはいかないであろう。大久保にかぎらず、西郷でも木戸でも板垣や副島でも、 維新第一級の政治家は、それぞれ立場を異にしても、自分の主義・原則に忠実で、自分のしたこと、言ったことに最後まで責任をもつという点では、さすがに 新国家建設の指導者であった。こういう原則性と責任感が、二代目の伊藤や山縣らないはすでに弱くなり、三代目の昭和の軍人・官僚政治家やいわゆる重臣政党政治家にいたっては、ほとんどまったくなくなってしまったところに、日本の悲劇があったという感慨を、わたくしは維新史を叙述していて禁じえない。 》   「うちつづく内乱外征」 408-409頁

《 朝鮮にたいする日本の圧迫の第一歩はこうしてふみだされ、また朝鮮にたいする覇権をめぐる日清間の争いの種子がここにまかれた。明治維新十年ならずして、 日本は、欧米に半植民地的に抑圧されながら、同時に早くも隣邦を抑圧する国となった。 》 「うちつづく内乱外征」 427頁

《 もともと西郷らの挙兵は県民大衆にはなんの関係もないことであった。私学校党の県政は民衆を解放するものではなく、他地方よりもひどい農奴的状態に しばりつけたままであったから、民衆が私学校党を心から支持するわけもなかった。 》 「西南戦争」 446頁

《 十年前には、維新変革の名実ともに最高の指導者であった英雄が、変革期の歴史の歩みの早さに、ほんの一歩おくれはじめたばかりに、やがて反革命の最後の 首領となり、かつてみずから肝胆をくだいて建設の基を開いた政権に、武力で自滅するにいたる、──明治維新ていどの変革においても、変革の論理はなんと きびしいものであったろう。 》 「西南戦争」 448頁

《 自由民権運動は、ようやく士族第一主義から国民的立場へ移行しはじめた。 》 「西南戦争」 451頁

 戦乱怒涛の十年か。

 午後、気分転換にブックオフ函南店へ自転車で行く。涼しい陽気で寒いくらい。赤城毅『書物査問』講談社ノベルス2012年初版帯付、佐藤春夫訳・注『観無量寿経ちくま学芸文庫2015年初版帯付、鶴見俊輔関川夏央『日本人は何を捨ててきたのか』ちくま学芸文庫2015年初版、デイヴ・ロビンソン『ビギナーズ哲学』ちくま 学芸文庫2012年初版帯付、計432円。行ってみるものだ。

 ネット、いろいろ。

《 1969年1月19日の夕刻、19歳の私は新宿西口地下広場で逮捕者のためにカンパを訴えていました。 》 鹿島茂
 https://twitter.com/_kashimashigeru/status/915185684264108033

 昭和の末、京都大学西部講堂を隈なく案内してくれた知人女性から恵まれたビデオカセットテープ、大内田圭弥『映画 地下広場 1969・春〜秋』モノクロ84分。 折込パンフレットの冒頭一行”25年むかしの1969年。”。

《 はやくも68年の段階から、あるいはもっと早い日々から、地下広場には闘争資金のカンパを訴える学生たちが、立ちはじめていた。 》

 1969年春、大学に入学した私は、仲間と新宿地下広場へ行った。人混みの熱気に圧倒された。

《 「片手袋は呪い」なぜ道路に手袋が落ちているのか。その道30年、片手袋研究家に聞いてきた 》 東京別視点ガイド
 http://www.another-tokyo.com/archives/50548685.html

《 そういえば安倍は何しているんだ?
  ぜんぜん動向がわからんじゃまいか。 》

 街頭演説しているみたい。