完全な対称性、完全な円形

 昨日の国宝曜変天目茶碗の解説の続き。

《 南宋時代の一時期にだけ焼かれた理由や、日本のみに現存して中国には残っていない理由も、いまだ謎のまま。 》 34頁

 その理由として以前から言われていることが、中国の美意識──対称性への執着。吉田秀和『調和の幻想』中央公論社1981年では北京の紫禁城を訪問して 大いに刺激を受けたもようが語られているが、その一節。

《 だから、私たちは、「紫禁城はすべてこれ、左右対称になるよう、矩形に並置された七○○余のマッチ箱からなる」といってもよいことになる。(中略) たとえば、日本の御所のつくりには、均衡と、それから装飾の洗練はあっても、紫禁城の壮麗さはない。私は前に太和殿の前面に立ち、南天の太陽と直面する 中国の皇帝は、自分の立っている地点こそ、正に世界の中心であり、それ以外に世界の中心はないと考えても不思議ではなかったろうと書いたが、そう考える機会を 常に与えられていた人が、同時にそこから、世界全体についての一つのまとまったイメージを得、世界の全体を、自分を中軸として、そのまわりに整然と配置された 万象からなるものと考え、描くようになるのは、ごく自然だろう。いや、そういう具合にして、一つの「世界像」を形成していかなかったら、その方がよほど 不思議だろう。 》 「紫禁城と天壇」 15-16頁

《 どちらにせよ、天壇公園の建物たちは、皇帝が世界に君臨するものとしての意識をもって、そこに立つ太和殿とは逆に、天子が天に向って祈願するものとしての 姿勢をとるようつくられている。ここでの主要な建物たちが、紫禁城の壮麗で重厚な方形の建造物とちがって、三つとも、完全な円形をとっているのも、注目すべき ことである。この円は、天球の丸みとの類比から来たのであろうか。 》 「紫禁城と天壇」 22頁

 この文からも推し測れるように、中国では完全な対称性、完全な円形が基準。国宝曜変天目茶碗と同時代、南宋時代につくられた油滴天目(ゆてきてんもく)、 禾目天目(のぎめてんもく)茶碗が、正円で文様もまたかっちり対称的なのに対して、曜変天目茶碗の文様は非対称というよりもまだらというか、対称形からは ほど遠い。だから出来損ないとして日本への荷物に投げ込まれた、という説に、私はさもありなんと思う。

 『調和の幻想』、ところどころ再読して、以前は気に留めなかった箇所に今回は注目。その一つ。

《 その相違の一つは北斎の絵に見られる、仕事をすること自体への喜び、快感が手にとるように伝わってくる点、そこから生れる一種の邪気のなさ、下心のなさに 出ている。この一種の単純さというか、素朴さというか、純真さというか、これは北斎だけでなく、日本の芸術家にしばしば見られるものだが、こういう人たちの 作品は、別にそれを企図したわけではないかも知れないのに、見るものに向って独特の喜びの光線が放たれるような結果を生みだす。 》 「北斎」 276頁

 牧村慶子さんの、まだ本になっていない最近の絵本原画だ。

 朝、期日前投票を済ませる。

 ネット、いろいろ。

《 2000年前後から私はセックスに関して突然、積極的に発言するようになりました。読者を失う恐れもありましたが、あえてこの道を選びました。 理由は、歴史から、性への弾圧は政治への弾圧に先立つ法則があることを学んだからです。しかも、その弾圧の犠牲になるのは常に女性なのです。 》 鹿島茂
 https://twitter.com/_kashimashigeru/status/917762274038751233

《 一票の無力さって、当たり前。万単位の票のたった一つなんだから。自分の入れた候補が当選しなければ余計にそう感じるだろうけど、 でもちゃんと数えられている。数えられてることが民主主義の基本。自分の思う通りの結果がでなければ無力というのは、自分が世界を直接支配したい心性と表裏。  》 林道郎
 https://twitter.com/michio_ha/status/917937454740467712

《 米海兵隊のCH53は2004年にも沖縄国際大学の学内に墜落した。この時は沖縄県警よりも早く現場に到着した米軍が大学の許可も得ずに一帯を封鎖し、 当初県警や大学関係者の立ち入りも許さなかった。その後も米軍は県警に現場検証をさせないまま機体を撤去。今回も同じことが起こる可能性がある。 》 布施祐仁
 https://twitter.com/yujinfuse/status/918060462222147584

《 雪印(笑) 三菱自動車(笑) 東電(笑) オリンパス(笑) 東芝(笑) シャープ(笑) 神戸製鋼(笑) 》