『明治の文化』三

 色川大吉『明治の文化』岩波書店1970年初版を少し読み進める。

《 それでは、なぜ新体詩調の(森)春涛派が当時の革命家たちに喜ばれず、かえって”保守派の逸民”の(大沼)沈山の方が、細野、石坂、深沢はじめ、 多くの地方民権家にむかえられたのか。すでにそのアイロニーの理由はあきらかであろう。それは維新革命に逆行したように見える叛徒雲井竜雄の詩が、かえって 民権志士らに愛吟されたという関係と同じである。
  ”新しがりやはたいがい敵にまわる”そのことを人民は永い経験で感得している。 》 「 IV 漢詩文学と変革思想」 137頁

《 これまで雲井竜雄事件は、明治最初の”士族反乱”、あるいは”封建反動”として評価されることが多かった。しかし、それからわずか一○年後に自由民権家たちが いかに雲井を深く愛惜したか、かれの志に鼓舞され、歴史を変えるエレルギーとして生かしたかは計りしれない。 》 「 IV 漢詩文学と変革思想」 140頁

《 この「妖気を払はざれば誓って休まず」との決意を表現する文学手段は、当時の日本にはこうした漢詩文のほかになにひとつなかったのである。 》  「 IV 漢詩文学と変革思想」 143頁

《 はげしい自由民権家の志士的気概と革命的行動が、この死の静けさのような寂寞の休らいの世界とまさに背中合わせになっているところに、私はかれらの詩魂の 緊張構造を見るのである。 》 「 IV 漢詩文学と変革思想」 145頁

《 一八八九年、明治ニ二年二月、大日本帝国憲法が公布されたとき、かれらはどんな想いでこれを読んだか。(中略)どんな苦い想いで読みくだしたかは想像に 難くない。「通読一遍ただ苦笑あるのみ」とは、中江兆民ひとりの想いではなかったはずである。 》 「 IV 漢詩文学と変革思想」 156頁

《 漢詩の生命はこの激動のなかで復興され、歴史変革に機能したといえよう。もし、こうしたことがなかったら、後に夏目漱石森鴎外萩原朔太郎らが、 日本詩の源泉として漢詩を評価し、継受することもおそらくできなかったろう。 》 「 IV 漢詩文学と変革思想」 158頁

 『明治文學全集 62 明治漢詩文集』筑摩書房1983年初版には、森春涛、大沼沈山、夏目漱石森鴎外らの作品は掲載されているが、雲井竜雄らの漢詩文は未掲載。 まあ、そうだろうな。

《 こうして明治一七年(一八八四年)一一月一日、まず三○○○の農民軍が動きだし、国家の諸機関にむかって銃撃を開始したのである。 》 「 V 民衆意識の 峰と谷」 188頁

《 このようにおなじ民衆といっても、「文字をあやつれる」豪農層と「文字なき民」底辺人民とのあいだには、思想形成の方法という本質的な点において重大な 相違があることを識った。豪農と底辺層のあいだにもこれだけの違いがあるのだから、いわゆる都市の知識階級との差にいたっては、断絶というほかなくなるのだ。 》 「 V 民衆意識の峰と谷」 192頁

《 以上、見られたように、日常おこなわれている底辺の民衆レベルでの思想闘争は、たがいに通俗道徳を盾にした虚偽意識の攻防であり、決して権力の思想が むきだしになって攻勢をしかけるような知識人好みのスッキリしたものではないのである。 》 「 V 民衆意識の峰と谷」 207頁

 女子大生からCD四枚が戻る。次は井上陽水中島みゆき中森明菜そして甲斐バンドを候補に挙げる。どれも聴きたい、と。甲斐バンドは母親が好きだ、と。 そうだなあ。

 ネット、いろいろ。

《 みずほ銀行から介護に関するセミナーの案内とかで電話。「誰が来るんですか」と聞くと「プルデンシャルジブラルタ生命の人が」 と言うから「ああカネの話ですね」「いえ違います」「だって介護なら介護の専門家が来るはずで、それ生命保険の人でしょう」途中から切りたそうだった。 》  小谷野敦直木賞がほしい
 https://twitter.com/tonton1965/status/924921059156967424

《 トイレにある「人がいないときにも定期的に水が流れます。 においや排水管の汚れを抑制するためです。」という表記は、実は 霊が用を足した時に反応してしまう 現象を隠蔽する為にTOTOが考えた解決策という都市伝説を思いついた 》 市川哲也(しなさい)
 https://twitter.com/bobobockle/status/924611780512399361