『メイキング』六

 ティム・インゴルド『メイキング  人類学・考古学・芸術・建築』左右社2017年初版を少し読んだ。

《 こうして手紙が往来するあいだ、文通には始点も終点もない。それはただ続いていく。第二の点。文通の軌跡は、感情の軌跡であり、感覚の軌跡でもある。 それは手紙の文面に選ばれた言葉(だけ)にではなく、書くときの手の身ぶりと、それがページに残した痕に現れる。手紙を読むことは、単にその書き手について 読むことを意味しない。むしろ、その相手とともに読むことである。あたかも書き手がページから語りかけてくるように、読み手であるあなたはその場で耳を 澄ませるのだ。 》 「第七章 流れる身体」 217頁

《 わたしたちの理解では、並んで歩くことはとりわけ親しい行為のあり方として経験される。会話のときでさえしばしばそうするように、並んで歩くときに わたしたちは、めったに相手の目をじっと見たりはしない。せいぜい相手の方に頭をむけるくらいだ。そうやって、動作に敏感な周辺視野において、互いの足どりや ペースを合わせていく。(中略)並んで歩いているときは、互いがほとんど同じ視野を共有している。その反対に、面とむかうときは、互いに相手の背後にあるものを 見ており、それは嘘やごまかしの可能性につながる。 》 「第七章 流れる身体」 218

《 つまり、世界と応答することは、それを描写することでもなければ、表現することでもない。むしろ、それに応えることである。変換装置が仲介役を引き受けて くれるおかげで、世界とコレスポンドすることは、あるひとの感覚的な意識と、生気にあふれた命の流れやほとばしりが混ざり合うことである。 》「第七章  流れる身体」 223頁

 コレスポンドは応答、調和と、コレスポンダンスは、文通、交感、万物照応と、訳されている。以上の引用から当然のごとく、味戸さんの二枚の絵が浮かんだ。 昨日の”1969年の銅版画の背景の波打つ雲海と思しき形状と、2010年の鉛筆画の森林の波打つ形状”だ。

 何気なく本棚を眺めていたら、ジル・ドゥルーズスピノザ 実践の哲学』平凡社1994年初版の背の帯文が目に入った。
《 スピノザ───情動の生態学者としての 》
 ”情動”に味戸ケイコさんを想起。昨日は”情感”と記した。なんとも悩ましい情動、情感。どちらも味戸さんの絵にはある。それを”中動態”でまとめられぬか。 ああ、再読する本がまた増えてしまった。

 午前、前橋市からの視察二十人ほどを源兵衛川〜三嶋大社へと案内。正午帰宅。ふう、歳のせいかひどく疲れた気分。なんとか昼食を摂る。そしてコーヒー。旨い。
 午後、女子大生にCD四枚を貸してその足でブックオフ長泉店へ。横山秀夫『64』文藝春秋2012年2刷帯付、串田孫一ギリシア神話ちくま文庫2011年24刷、 大河内昭爾・選『あさめし・ひるめし・ばんめし』ちくま文庫2014年初版、計324円。いい日だ。

 ネット、いろいろ。

《 月曜日に引いた風邪を市販薬で直そうとして全然直らず2日無為に過ごした挙げ句、今日仕事行く前にクリニックに寄らねばならない状況に。 7、8年前までは普通に直ってたのに歳を取るとはこういうことか。 》 大野左紀子
 https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/928403281507790849

《 絵のなかで考えて描くのと、絵の外から眺めながら描くのとでは〈絵〉はまったく異なる。絵のなかで、そこに描いた幾つかの形象が、各々に〈人格〉を もちはじめることで、それらが共演しはじめる。これは絵の外から眺めながら、画家の意思で、各々を繋いでいくことでは、けして起きない共演である。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/928132841329721344

《  Facebook民にありがちな事選手権

  最優秀賞
  Facebook「結婚しました」「旅行にきました」
  ↓
  そっ閉じ
  ↓
  Twitter「おっぱい」「ちんちん」
  ↓
  落ち着く

  金賞
  Twitter民にはわからねぇ。

  入選
  元カレや元カノが知り合いかもに表示されて辛い 》 坊主
 https://twitter.com/bozu_108/status/928112855760617472