美術の核心/美術品への確信

 美術の範囲は闇雲に拡がっているように思える。では、そんな拡大を続ける美術の核は何だろう。あるいはもう核はないのか。核廃絶は望むところだが、 美術の核の廃絶は、まあ、望まないほうだ。美術の核というよりも、美術の核心は、私は、感性の覚醒、認識の革新だと考える。覚醒と革新を惹起しないモノは、 賞味期限切れ。その中から資料=歴史的遺産として少しのモノが遺る。では、それを誰が判断するのか。歴史を振り返る後世の人たちだ。
 では今を生きる私の判断=鑑賞法は。ネットにふさわしい一文があった。

《 言わずもがな、五郎にとって大切なのは食事と向き合う自分であり、そこに他人は関係ないのだ。 》 新山 勝利/東洋経済ONLINE
 http://toyokeizai.net/articles/-/202754?page=3

 確信あるいは独自の判断(独りよがりともいう)がなければ、美術品なるものには到底金を使えない。

 早く寝るから早く目覚めるかなあと思ったが、いつもどおり目覚ましで目覚め。十一時間寝てしまった。時計が鳴らなければ冬眠人間かも。
 昨日読書のお供に何気なくかけていたサンソン・フランソワ演奏のショパン夜想曲集』を、きょう同じ夕刻にじっくり聴き込んでしまう。他の演奏家を聴いて 一時は古いかな、と思ったが、いやいや大したものだわ。エレガントにして官能的な演奏は彼ならでは。肝心の本は手付かず。

 ネット、いろいろ。

《 オイラーが期待した”いつか”の日は、日本では約150年後の20世紀になってようやく実現しました。 》  自然哲学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙
 http://1st.geocities.jp/taxion2300/Euler_letters1760_0.htm

《 グレーバー「この三〇年間、社会理論において新しい大きな業績はあらわれていない。(略)その代わり、私たちの大多数は、 中世のスコラ学者のようなものである。もしドゥルーズフーコーブルデューの生まれ変わりが現代の大学世界に現れたら、 彼らは大学院すらうまく修了できないかもしれない(続く 》 長谷正人
 https://twitter.com/mtokijirou/status/946546219697893376

《 グレーバー続き「うすうすそれをわかっていて罪の意識を感じながら、私たちの大部分がスコラ学者よろしく、一九七〇年代のフレンチ・セオリーに、 いつはてるともしれない注釈を施しているわけである。」 》 長谷正人
 https://twitter.com/mtokijirou/status/946546921572728832
 ↑デヴィッド・グレーバー(酒井隆史訳)『官僚制のユートピア以文社

《 日本は古代インド、中国、ヨーロッパ、米国の哲学思想が流入してすでに100年以上がたち、その主要著作が日本語で読める稀有の国だ。 もし日本の大学や学会の縦割り(哲学科では西洋哲学しか認めないとかの)がなくなって交流すれば、日本のオリジナルな哲学が群れのように出現すると 私は確信している。 》 森岡正博
 https://twitter.com/Sukuitohananika/status/946603109769285632

《 安倍首相が休暇にゴルフをするのは構わないが、「国難」はどこに行ったのかな。安倍首相の休暇に合わせて「国難」も休暇を取るのかな。 でもって、リフレッシュしてまた姿を表すのかな。番記者の皆さん、教えて! 》 m TAKANO
 https://twitter.com/mt3678mt/status/946688611486908416

《  【神棚の注連縄をお持ちになる方へ】
  当神社では、包んで来られた新聞紙などは、お持ち帰りいただきます。
  ご了承下さい。

  今年のお正月の事ですが、その場で開封をお願いしたら、中身が自然薯でした。
  併せてご注意願います。 》 星川杉山神社
 https://twitter.com/sugiyamajinja/status/946326124744732672