『中動態の世界』再読・三

 國分功一郎『中動態の世界──意志と責任の考古学』医学書院2017年5刷を少し再読。

《 思考する主体は常に何らかの現実のなかにいる。だから言語が思考を直接に規定するということは考えられない。言い換えれば、言語の規定作用を、 思考という規定されるものへと直接に差し向けることはできない。 》 113頁

《 ギリシア以来、哲学は存在を問うてきたが、それをそのように問うことができたという事実は、存在に相当する語を容易に客体化できるギリシア語の独自性と 切り離せないだろうということである。 》 115頁

《 能動態と中動態を対立させる言語は、能動態と受動態を対立させる現在の言語とは異なった思考の条件を形成していたはずである。中動態を有していた 古代ギリシアが意志の概念を知らなかったという事実は、それらの条件を推測するうえで重大な意味をもつ。 》 122頁

《 意志という絶対的な始まりを想定せずとも、選択という概念──過去からの帰結であり、また、無数の要素の相互作用のもとにある──を通じて、われわれは 意識のための場所を確保することができる。むしろ意志の概念を斥けることによってこそ、意識の役割を正当に評価することができる。 》 135頁

 昨日は雨の中を歩き回ったせいか午後九時に就寝。今朝は八時少し前に起床。寝すぎ〜と思うけど、ま、冬眠のようなもの。

 ネット、いろいろ。

《 バッグ展のお知らせ
  2019年2年11日(火)〜2019年3月10日(土) 》

 近所のお店の昨日のツイッター。来年かあ。

《 「暗くてわからないもの」──「未知なるもの」、「異邦のもの」──は、もしそれを、言葉の行う媒介作用を素朴に信用しつつ、判明に区切って言述することで、 〈意味を付与され、現前するなにか〉としてあらわにすれば、必然的に失われてしまうなにかであり、いわば無媒介性である〈もの〉的次元をなすものに 結ばれているなにかである。そうした暗くてわからないものは、まさにそれを否定し、無化させる働きを(一面では、必ず)発揮している言語活動において、 どうすれば暗さ=不可解性を保ったまま与えられるのか。暗くてわからないものが、それ自体の不可解性=異邦性のうちに与えられるような言葉づかいは どんな言語活動なのか。 》 「ブランショ『終わりなき対話』をめぐって」湯浅 博雄
 http://www.webchikuma.jp/articles/-/1173

《 米軍ヘリパッド建設に反対する市民を支援する弁護士が、警察官に車の通行を制止されたなどとして国家賠償を求めていた訴訟で、那覇地裁は県警の違法性を認め、 県に30万円の支払いを命じた。 》 沖縄タイムス
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180118-00196788-okinawat-oki

《 安倍首相が会う人と会わない人、参加するイベントと参加を見送るイベントをリストアップすると、そこにはある共通点が浮かび上がる。 現行憲法の柱である「人権尊重」や「平和主義」の理念に合致するイベントには参加せず、その理念を重視する活動をしている個人は邪険に扱う。 》 山崎 雅弘
 https://twitter.com/mas__yamazaki/status/953518845146185729

《 寝落ちしたというツイートは時々見るけど駆け落ちしたというツイートはほとんど見ない。駆け落ちした時はみんな黙ってるんだな。 》 平田俊子
 https://twitter.com/hiratatoshiko/status/951840280868614144