『中動態の世界』再読・四

 國分功一郎『中動態の世界──意志と責任の考古学』医学書院2017年5刷を少し再読。読むのが遅い。年々老化か、用事にかまけて、か。ま、両方だろう。

《 こう考えると、暴力と権力をきちんと区別せず、両者を曖昧に重ねてしまう考え方というのは、能動性と中動性の対立で理解すべきであるものを、無理矢理に、 能動性と受動性、「する」と「される」の対立に押し込む考え方だと言うことができるだろう。 》 151頁

《 中動態は、どれほど例外的に思えようとも言語としてこれを表現しないわけにはいかない。そのような観念を担っていた。すなわち、当たり前のことだが、 能動と受動の対立は動詞によって表現される観念のすべてを取り込むことはできなかった。 》 173頁

 先だって筑摩書房から四方田 犬彦・編著『1968[1]文化』が出版された。

《 1968〜72年の5年間、映画、演劇、音楽、写真、舞踏などの領域で前衛的な実験が展開された。それら歴史的記憶を文化資料として甦らせる。写真資料満載。  》
 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480016614/

 K美術館で企画展示した「新宿 言葉 JAZZ」を思い出す。
 http://web.thn.jp/kbi/zz1.htm

 『1968[1]文化』の執筆者に椹木野衣氏。去年の10月21日付東京新聞に美術評「『1968年』─無数の問いの噴出の時代─」展。その結び。

《 六八年は、内ゲバやテロの中で挫折し、完全に失われてしまったわけではない。別の姿に形を変え、今日にまで消し難く受け継がれている。 》

 挫折を胸に秘め、ドブ川の源兵衛川を再生させることで居眠りしているような三島の街をいい街にする。論より実践。でも、無理をせずに。

 若い知人女性からのメール”また情報交歓よろしくお願いいたします。” 情報交歓。倉橋由美子の小説『交歓』新潮社1989年を想起しちゃう。

 ツイッター中井英夫『黒鳥譚』沖積舎1977年刊、限定百部を入手という書き込み。本棚から「番外10冊ノ内第7部」を取り出す。私への献呈本。 死んだらどこへゆくのだろう。

 ネット、いろいろ。

《 今回の実験により、量子力学の基礎である波動/粒子の二重性を解明する手がかりを得たと考えています。今後、さらに電子検出器の時間分解能を上げるなど、 現在の電子線技術をさらに発展させることで、不確定性原理と干渉現象との関係を実験的に捉えるなど、量子力学の根幹に迫りたいと考えています。 》  新しい二重スリット実験 −「波動/粒子の二重性」の不可思議を解明するために−/日本の研究.COM
 https://research-er.jp/articles/view/67057

《 つまり、人間の特殊性とはこの過剰性にあり、法や倫理や理性、あるいは再帰的な自己監視能力にあるのではない。人間のこの、過剰に制作し/される という能力こそが人間を人間からズレた怪物へと変容させるのであり、それは社会という関数を通す前には良いも悪いもない。 》 上妻世海
 https://twitter.com/skkzm/status/953605332915269632

《 「やはり「変人」を集めるというのが大事なのかもしれない。変人というのは、いい意味で、とんがっている。「出る杭」ですよ。」 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/953960983717752832
《 こうして子供たちが避難訓練を行なった午後、また米軍機3機が小学校上空を飛行。これに本気で怒れない人間は、「右派」でも「愛国者」でも「まともな大人」 でもない。「自分の国で絶対にできない危険な訓練はやるな!」の一言に尽きる。 》 矢部宏治
 https://twitter.com/yabekoji/status/953932856320974848