備忘録・北一明

 備忘録。以前K美術館から送った北一明の盃を気に入った方からのメール。長文。


《  お世話になっております。
  昨日お代金のお振込みをさせて頂きました。
  このご縁に慎んで感謝致します。ありがとう御座いました。
  無事お品拝受致しました。
  お送り頂きました北陶工の作品、あくまで氏の片鱗や創作の一端でありながら、予想していたより遥かに素晴らしく、
  個人的にはもう陶器収集の最後を感じさせるほどのお品で御座いました。


  小品といえあれだけの技量、とりわけ隠しおおせない稀有のセンスを持ちながら、一方で昨今の氏への評価を対照させるにつけ、
  尚一層、現今の我が国陶芸界の水準を推して知るべき状況、
  仕方が無いと言ってしまえばそれまでで、
  現今どころか、深くは人の性にもその根源ある顛末、
  なんとも言葉の無い心境に御座います。


  言葉では到底尽くせない、あのセンスを感受出来る人が幾らも存在しない現実、
  そしてそれは同時に図らずも結果的には私個人には大変に願っても無かった状況、
  これがために叶ったこんな私への氏の労作とのご縁叶った事、
  反面ただただ感謝せずにはおれないものにも御座います。


  まず間違いなく昨今の陶芸の全てを見切ってこそのあのアプローチ、
  しかももって生まれた天性の感性とそれを磨きに磨いてたどり着いた境地にて作陶なされたその結実、
  私は本当に幸せの事と存じます。


  私事にて恐縮ですが、私におきましては、
  とどめの月形那比古陶工の作にて、現代作家への関心の大半は終わっておりましたので御座いますが、
  それを遥かに超越して余りある北陶工の作品と、なにがどうしてか数奇のご縁、
  最後はどうも氏の作品になりそうな気配に御座います。


  氏の残された幾つかの著作、とにもかくにも作品を見ない限りは具体性に欠ける部分も多々のものでもありましたが、
  今では全て納得理解の心地に御座います。
  やるせない現実も、摂理といえばしごく当然の摂理の事、翻弄された氏にはどれだけ語りつくしても尽くせない思いが尚とめどもないものでも御座いましょうが、
  それもこれも俗世の衆愚を形成する数多の凡夫の下世話の成せる帰結、
  せめては安からかな余生を送ってほしいものとただ願う次第に御座います。
  氏の作品、私が如き稚拙の文しか紡ぎ得ない者にては一冊の本とまでは叶わないまでも、

  それでも相当数の出力分量をもってしか、簡単にはどうあがいても印象ひとつ表せないものでも御座いますが、
  一期一会といって良いかの様な、今回ご縁御座いました作品、小品ながら、本領のほんの片鱗ながら、
  ただ諸手を挙げての賛辞しかあり得ない心地に御座います。


  あんな酒盃のどこが、とまず恐らくは巷の殆どの陶芸数寄は口を揃えることでも御座いましょうが、
  倣岸をお許し願えれば、むしろ真逆にあれ以上の労作は何気に当面不世出といっていいのではないかとさえ思わずにいられません。
  なんでもかんでもアンシンメトリックにしてしまう、なんの美意識も介在させずただゆがめてしまう、ただ(釉薬を)垂れ流させてしまう、
  もしくはやたらといかにもピカピカに美しく仕上げてしまう、もしくは陶酔の職人芸をロックバンドの如き乗りで調和もわきまえず顕示して嬉々としている、
  ちょっと軽く首をふって見渡しただけでざっとこの程度のそれやこれやは普通に大量に散見される昨今、
  対する真の美や崇高や荘厳といった概念や人の生理や性分への深い洞察への限りなく謙虚でひたむきな姿勢や愛情が自然と選び取ってきた創作の手癖が、 自ずと零れさせる穏やかさ、
  本当に美しいです。


  高速料金が予期せず1000円になりましたので、もしや数ヶ月のうちには或いは貴美術館へも行けるやもしれませんし、
  もっと運が良ければ、その足で北陶工ご本人にお会いする事も、あながち夢物語でもないかのような状況になって参りました。
  今はぜひともこのふたつを叶えたい心境で御座います。


  基本中の基本、王道中の王道ともいうべき労作の道に、しかも全身全霊を投じられた北陶工の、その作品にしか顕現され得ていない妙なる玄妙や風雅や静謐、
  古くは利休や高麗、李朝の真髄を、普通に看過しているさりげなさ、力の入れ加減抜き加減の絶妙、むしろ昨今の陶芸レベルからは優に神業の域にさえ思える、 何よりそのスタンス、
  名物だけが詫びでも寂びでもないその意識の本質、貧乏ながらも、またそうであればこそ生涯諦めず目指してゆきたいと、気持ちも新たに、 時にそんな氏の酒盃に力を貰いながら、これからをより豊かな感受性を拓きつつ行こうと思う次第に御座います。


  見事なまでの対称的の二品、私にはまるであつらえて貰ったかの様です。
  二品とも大満足のお品で御座います。
  私は飾ったり集めたお品を後生大事に収蔵する鑑賞家では御座いませんので、これからはかのお品と生活を共にする形から氏の作品と接してゆくものとなります。
  生活を共にするうち、きっといろんな面がわかってきて、或いは時にうんざりすることも今後ないとも言い切れたものでも御座いませんが、
  それでも氏の作と一緒に育つこれからが楽しみでなりません。


  一日も早く氏の作品の実物に沢山お会いしたいです。
  その折にはもしかしたら物凄い鑑賞時間を要してしまう事があるかもしれませんが、
  といっても現在の虚弱な体力や集中力ではまずそれも無いとも思いますが、
  その折にはほんの少しで結構ですから、どうか大目にみてやって頂けましたなら望外の喜びに御座います。


  何を書いたとも思えないうちに長くなってしまいました。
  筆不精の成せる拙い文におけますお目汚し失礼致します。
  本当にいろいろとありがとう御座いました。
  またの機会にはどうぞよろしくお願い致します。


  ○○ 拝 》


 北一明の出身地飯田市の記事二件を再掲。出身地での扱いがどんなものかがわかる。

《 北一明こと下平昭一君の著書と資料 》 吉澤健
 http://www.minamishinshu.co.jp/center/series/023.PDF

《 ヤク〇トの創業者の出身地は?〜「発掘!郷土のすごい人」展 》 南信州お散歩日和
 http://blog.nagano-ken.jp/shimoina/other/4521.html

 故松平修文氏が編集委員を務めていた短歌雑誌『アルカディア』2号沖積舎1980年の氏の編集後記から。

《 何かの意味で、新しさを目指すことのない伝統とは因習の別名にしかすぎない。 》

 北一明はまさしく「新しさ」を焼きものにおいて研究、創造した。が、それゆえに生前、業界から無視された。

 東京新聞2015年7月31日夕刊記事「異端の陶芸家 北一明さん 業績に光」「知人ら 記念館設立計画」。

《 同市内の実家で遺品の整理をする一方、散逸した作品の情報収集など業績をまとめる作業を進めている。 》

 それから二年余。こちらには何の音沙汰もない。

 ネット、いろいろ。

《 しかし、うまくいくと分かっていることしかやらなければそれは定義的に「挑戦」ではないのです。失敗するからこそ、成功のチャンスがある。 失敗しないということは、成功もしない。 》 岩田健太郎
 https://twitter.com/georgebest1969/status/955953111109066752

《  大雪の時に気を付けなければならないこと選手権

  最優秀賞
  雪の上に大の字でダイブした事がありました
  コンクリに頭直撃して死にかけたのでまず深さを確認してから飛び込んでください。 》 坊主
 https://twitter.com/bozu_108/status/955678762246447104

《 みんな新聞とらなくなると、生活で新聞紙が必要なときに困るじゃない? 野菜くるんだりとか。だから、無地の新聞紙を売ればいいと思うのよ。 》  津田淳子
 https://twitter.com/tsudajunko/status/955746805630713857

《 いかに敵をつくらないかを考えない国防論は、単なる既得利権共同体のプロパガンダです。特に、「海岸線に原発並べた緩衝国家」にとっては、です。 》  伊勢崎賢治
 https://twitter.com/isezakikenji/status/955301155596218368

《 「鮫の惑星:海戦記パシフィック・ウォー」陸地が水没した世界で絶対王者のサメを操る装置を作った悪党に捕まった女性がサメを操る"サメ使い"の力に 覚醒!果たしてどちらがサメの主となるか。。。って、どちらが主人でもサメはいつも通りに暴れて喰うだけなんですがねw 》 怒りくま
 https://twitter.com/kichigaihakase/status/955656206105788416

《  外国人には日本は非常に狭い島国だと思われているので、
  どこかで噴火でもあれば東京は溶岩に呑まれてしまうと考える
  観光客の増加はもはやこれまでだな 》