『ミシェル・セール』八

 昨日の引用「つねに戻ってくる」が強く印象に残ったが、その後の展開は把握しきれず。一夜明けて東京新聞朝刊、鷲田清一「喪失をどう伝える」を読んで 細い通路が開かれる予感。

《 震災後、避難所や仮設住宅に「取材お断り」の張り紙してあることを伝え聞いたことがある。(中略)張り紙は「わたしたち」は取材や調査の対象ではない との思いをはっきり告げていた。 》

《 小森はるかと瀬尾夏美という若いアーチストが数年にわたる試行錯誤のなかで編みだしたのは、その先である。くぐもる言葉を録音し、持ち帰って書き起こし、 整え、さらにそれを語り手に点検してもらったあと、本人に朗読してもらい、その人たちの映像をかぶせるという手法だ。ここで彼女たちはみずからが語り手の 媒体になろうとしている。 》

《 言葉そのものは「変質するもの」のうちでもっとも移り変わりやすいものだが、それによって伝えられる情報や知は、「貯え(蓄え)られる」ことも、 それによって硬直することもある。 》 「第5章 『パラジット』」 220頁

 ミシェル・セールの思想につながってくると予感。予感ばっかだ。ま、実現させるには時間と労力がかかる。昨日の”ネット、いろいろ”だ。それは措いて。 鷲田の言葉。

《 これら二つの手法に共通して漂うのは、じぶんを突き放すところに醸される微かなユーモアだ。(中略)フランスのある哲学者はユーモアを《理性の微笑》 だと言っている。 》

 清水高志ミシェル・セール  普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版、「第6章 『作家、学者、そして哲学者は世界を一周する』」 を少し読んだ。

 昨晩は少し不調だったようだ。ブログの誤字数カ所を今朝、訂正。
 最低気温、午前七時一分−2.0℃。ぬくぬくと寝て十時間超、午前八時過ぎ起床。
 能力を超えた読解力を要請されているから脳がひどく疲れ、睡眠時間がえらく長くなるのかも。
 午後、友だちの買いもののお供。終えて食べものが話題に。持論を述べる。例えば某鰻屋の先代は備長炭で炙る時、皮がカリカリになって焦げる寸前まで 追い込んだ。今で言う外はカリカリ、中はジューシー。今の代は皮まで柔らかい。旨いけれども物足りない。それで思うのが、北一明の焼きもの。釉薬と素地が 駄目になる限界を探り、それからその臨界値寸前まで焼成した。殆どの陶芸家はそこまで実験を重ねない、と。料理も陶芸も絵画も同じ。限界値を確認し、 そこのギリギリまで往還すること。そこから息を呑む作品が生まれる。そんな作品、料理になかなか出合わない。そんなにあったら、それはまた困るけど。

 ネット、いろいろ。

《 芸術というのは、自己目的的であることが第一であり、ヘタに「何かを表そう」とするとひどいことになる。子供の頃は意味以前だから、 自己目的的に絵を描けるが、言語能力の発達と共に意味が最大の関心事となり、そして「意味がある=何かを表しているもの」を描きたくなり、 すべてが台無しになる。 》 千葉雅也
 https://twitter.com/masayachiba/status/962115025421795328

《 抽象美術、現代美術的なものが「わかる」ためのガイド本みたいなものもあるが、僕が思うに、一番の基本は、作品の形や色のあり方が 〈それ自体以外の何かを表している〉という大人のものの見方をやめて、形や色のあり方〈それ自体〉を、食べ物を味わうように感じることである。 》  千葉雅也
 https://twitter.com/masayachiba/status/962117160985227264

《 籠池のおっさん案件にしても下町ボブスレー案件にしても「安倍夫妻と昵懇な様子を撮影した写真」が大量に出てくるのが一つの定型パターンに なりつつありますね。「安倍に近いネトウヨには予算が落ちる」ってもうまるっきり縁故資本主義。日本は発展途上国未満の国になったんですねぇ 》  菅野完Staff
 https://twitter.com/SUGANOTAMOTSU/status/962139067826634752

《 「ほほえみ外交」って誰が考えたのでしょう?どこかの広告代理店でしょうか?なんとも意図がよくわからないネーミングですね。 》 Koichi Kawakami
 https://twitter.com/koichi_kawakami/status/961984659469905921