日曜日、重いゴミ袋をさげて歩いていてこけた。とととと、前にころんだ。バタンと地面に倒れたが、両手が先に出て顔は無傷だった。周囲の人は驚いていたが、 何もなかったように立ち上がったので、関心はそれまで。老人力がついていたら、顔は傷だらけだったろう。右の掌に小さな擦り傷ができたが、今朝は絆創膏も不要に。
転倒で連想が働いた。去年の秋、二回読んだ清水高志『実在への殺到 Real Rush 』水声社だ。自らの思考の転換が求められると思ったが、そうではない。 転換ではなく、思考の転倒が求められているのだ。そうでなければ、平明な文章を理解することは、私にはできないだろう。それからまた連想が働いた。 岩成達也の詩集『レオナルドの船に関する断片補足』思潮社1969年だ。収録の長い散文詩「マリア・船粒・その他に/関する手紙のための断片」第一連冒頭。
思い出や夢のなかで、海が向うの方へとひいていくとき、
そこらは一面に荒れた岩場のようなものがあらわれてくる。
その岩場のようなものは、おそらくはくもった日には灰色に
みえ、そしてまたあるときはその一部が、狭くにぶくとぎれ
たようにそこで輝く。
そして最終連。
それは、くみつくされるとき、海や岩場に似たものになる。
海や岩場に似たものは、あるときには、そのあたりに、なに
か残光のように、一種船粒様のものをよびおこす。それから
それは、その海や船粒によつて、同時に拡散しながら、いつ
でも向うの方、もつと荒れたくらがりの方へと昇つていく。
いやあ、朝、蒲団のなかで浮かんだ着想を書きつけてみると、えーっという感嘆符が湧いた。当初の目論見では、この『レオナルドの船に関する断片補足』から 文学における飛翔、墜落に対する哲学、思想における跳躍そして転倒へ、を企図していた。それが、いざ詩を書き写してみると、全く予想外の出合い、発見をした。 それは北一明の仕事、作品のことだけど、今はさしおいて、当初のもくろみへ。『実在への殺到 Real Rush 』を理解するには、自らの思考の転倒が必要だが、 その転倒は、柄谷行人『日本近代文学の起源』講談社文芸文庫1990年9刷で出合った用語。
《 風景が以前からあるように、素顔ももとからある。しかし、それがたんにそのようなものとして見えるようになるのは視覚の問題ではない。そのためには、 概念(意味されるもの)としての風景や顔が優位にある「場」が転倒されなければならない。そのときはじめて、素顔や素顔としての風景が「意味するもの」となる。 それまで無意味と思われたものが意味深くみえはじめる。 》 「内部の発見」68頁
詩の引用「くみつくされるとき」なんぞ、また別の哲学への連想が働く。こういうことを知層の発掘というのかな。
ネット、いろいろ。
《 「どなたかお客様の中で哲学者の方はおられますか?」というシチュエーションを考えていたのだけれど、何も思い浮かばなかった。 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/983362802860507137
《 やはり、原文で確認したら、『メイキング』邦訳29頁の冒頭の一文は誤訳ですね。 》 Akinori Hamada
https://twitter.com/wasurenakusa/status/983332551472300032
《 今日の国会でも、お得意の「総理大臣である私が…」が何度か登場してました。しかし責任の取り方は「膿を出し切って再発防止」だけ。
そういえば最近言わなくなったのは「アベノミクスは道半ば」だな(笑) 》 清水 潔
https://twitter.com/NOSUKE0607/status/983230380739145728
《 不正の告発者をスパイと呼ぶアベトピア感が交感神経にぞっくぞく来よるで! 》 津原泰水
https://twitter.com/tsuharayasumi/status/982790058464854021
《 「国家」と結婚したら、もらえるのは指輪じゃなくて首輪だよ 》 早川タダノリ
https://twitter.com/hayakawa2600/status/983239556701896704
《 もし自分が、何が何でも安倍政権を擁護しようと心に決めていたとしたら、毎日大変だな、と思う。連日発覚するウソを、こんなの些末な問題だと片して、 乗り切らなければいけない。さすがに擁護無理っす、と言い出したいのをどうやって必死に抑えているのだろうか。その鋼のメンタルを教わりたくなる。 》 武田砂鉄
https://twitter.com/takedasatetsu/status/983497322758684674