洲之内徹『しゃれのめす』世界文化社2005年初版を少し再読。84頁に知らない言葉。出面取り(でづらどり)。出面=日雇い労働者の日給。
『しゃれのめす』の初読は四年近く前。その日録にはこんな記述。
《 二十年ほど前、木版画絵師小原古邨の木版画に某画廊で出合った時が そうだった。即購入したが、名前の読み方も分らず、文献も見当たらず、 手を尽くしてやっと「おはら・こそん」だとわかった。2000年当時検索では 18件。今日は30000件。 》
http://d.hatena.ne.jp/k-bijutukan/20140924
現在は約135,000件。四年で四倍増。
《 いまの美術界で、水彩画が画壇の辺境化した観があるのは、それにはそれで理由がないわけではない。絵の具が単に色であるだけでなく、その材質感が 画面要素の重要な要素になり、油絵の具の強靭な材質性を駆使してさまざまな開拓が試みられてきた現代絵画の動きの中で、材質性の希薄な水彩画が脇へ 押しやられてしまったのは止むを得ないのではないか。
しかし逆に、紙の生地と透明な色彩を武器にした水彩のメチエの描写力には、油絵の追随を許さないものがある。 》 107頁「孤独な水彩画」1972年発表
私は、油彩画の迫真的に再現された物質感に食傷気味。セザンヌの晩年のサント・ヴィクトワール山を描いた水彩画、安藤信哉の晩年の水彩画にとても惹かれる。 物質感を突き抜けたその先の世界……。今、油彩画が飽きられてきていると感じる。そして水彩画が浮上するだろうという 予感。それは伝統木版画、味戸ケイコさんの鉛筆画に惹かれる私だけの見方、過大な期待なのかもしれない。
朝、一枚刷り増しした味戸ケイコさんの巨大複製印刷画を、来年個展予定の銀座の画廊へ送(贈)る。
昼、知人の紹介で、手元にある味戸さんの巨大複製印刷画を掛け軸にするよう表具屋へ。休みなので知人宅に預ける。一件落着。
ネット、いろいろ。
《 現在組入準備中の本は、当編集室史上かつてない頻度で「糞」の字がページに溢れている。黄金週間を糞にまみれて過ごすはめに。 》 藤原編集室
https://twitter.com/fujiwara_ed/status/991587397237288961
草間彌生『マンハッタン自殺未遂常習犯』角川文庫1984年初版、「聖なる糞の大反撃」の章を連想。糞まみれで引用が憚れる。
《 ところで、「http://www.france.jp/ 」というURLを保持しているのがフランス大使館でもフランス観光協会でもなくフランス書院であるという事実を、 みんな知っていただろうか? 》 下井草秀
https://twitter.com/shimoigusashu/status/991261530925686784
ほんとだ。
《 平成ももう一年足らず。。一言で言うと低迷期だったな。昭和戦後には、復興という国家目標があったしまだまだ戻ってないという気持ちがあったが、 年号が変わると何をしたら良いのかたちまち国民が目標を失って迷走し、すぐにバブルも弾け、その後はだらだらしていただけだった。 》 清水高志
https://twitter.com/omnivalence/status/991926007689969665
《 「価値中立」という言い方をする人を見かけるのだが、ある「価値」とある「価値」の間をとって「中立」ということはできない。 「中立」に見えていることもまた「価値」だからだ。「価値」をまとうことも、もちろん避けられない。大事なのは自らの価値に自覚的であること、 すなわち価値自由、これだ。 》 住友陽文
https://twitter.com/akisumitomo/status/991572437291618304
《 あー、こちら本部、こちら本部、現在、そちらでの状況が戦闘行為に当たるかどうかこれから閣議にかけるのでそのまま待つように (横を向いて同僚に)おい、返事がないぞ、全滅しちゃったかな? 》 山田正紀
https://twitter.com/anaryusisu/status/991819707681406976
《 アベはアベでないと閣議決定するんじゃね 》
《 ミスター蚊帳の外 》