暦を超えて

 宮下規久朗『闇の美術史』岩波書店2016年、「第6章 日本美術の光と闇」を再読。

《 しかし、日本では黒田清輝以降、印象派の亜流である外光派がアカデミズムとして支配的になっていき、闇の多い様式は旧派あるいは脂(やに)派とよばれて 衰退してしまう。 》 189頁

 高島野十郎について。

《 近年見つかった「遺稿ノート」には、「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事」と記しており、また「写実の極意」を「慈悲」と呼んでいる。 この画家にとっては、森羅万象が神であり、それを描くことは一種の行であったようだ。 》 193頁

 アニミズム・・・。
 一昨日に日録「太陰暦、月暦」で記したが、「たそがれ巴水」川瀬巴水はもとより小原古邨、高橋松亭ら伝統木版画の流れにある絵師たちは夕景夜景に優れた作品を 遺している。K美術館の収蔵品から。
 http://web.thn.jp/kbi/hasui.htm
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm
 http://web.thn.jp/kbi/shoutei.htm
 さらには吉川観方の朝霧。
 http://web.thn.jp/kbi/kanpo.htm
 K美術館の収蔵品には味戸ケイコさんほか、夕景夜景そして闇を描いた作品がごろごろしている。昼間の光よりも黄昏、月明かり、夜の漆黒の場面を描いた作品に 私が惹かれたのは、自身の中に潜んでいる旧暦、月暦の記憶の故なのかもしれない、と思うこの頃。学生時代、東京都心の摩天楼の煌々たる窓明かりを見上げ、 深い違和感を感じた。それから半世紀近くを経て、その原因の一端に触れた気がする。旧暦を古臭いものと見ていたが、彼らの作品にそれとは別の、もうひとつの局面、 アニミズムの側面を垣間見たような。うーん、無理があるな。
 味戸ケイコ、北一明、白砂勝敏の三氏の特例的な作品には、実感する青空夜空を超えた、暦を超えた遥か宇宙の時空を幻視させる魔術的な表現を感じる。万物照応。 生命の原型、ゆらぎ、宇宙背景放射……。大いなる錯覚、誇大妄想と笑われるかもしれない。笑われることには慣れている。

 午後、昨日の昼に依頼された、東京理科大の教授、助手、院生たちを源兵衛川〜御殿川へ案内。たっぷり二時間。ふう。

 ネット、いろいろ。

《  タモリ倶楽部こぼれ話1。放送ではカットされていましたが、、

  タカさん「出版社のみなさんは、裏のあらすじのことを“ウラスジ”って呼ぶんですよね!」
  文春「いえ、表4の内容紹介と……」
  新潮「そう、表4」
  角川「表4です」
  タモリさん「大丈夫か、この番組」

  ……という一幕がありました笑。 》 新潮文庫nex
 https://twitter.com/shinchobunkonex/status/993080946235662336

 ウラスジ、ガセネタか。

《 (芸大など卒業してなくても中ザワさんのようなキレキレの理論家もいるし、卒業していても「適当な思いつきだけ」でやってる人もいるし、 アートに関してはデッサン力を必要とする分野以外で卒業大学はあまり当てにならない。もちろんデッサン力はアートの能力の一部に過ぎない。 》 大野左紀子
 https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/993453290133176322

《 キュレーターの憂鬱。 藪前知子が見たカンヌ・ パルムドール受賞作 『ザ・スクエア 思いやりの聖域』 》 藪前知子
 https://bijutsutecho.com/insight/14880/

《 東京大学中央食堂の絵画廃棄処分についてのお詫び 》 東京大学生協ニュース
 http://www.utcoop.or.jp/news/news_detail_4946.html