描写力、構成力、構想力

 昨日の日録に”構想は全く違う”と書いて、西岡文彦『図解:名画の見方』宝島社1996年20刷の一節を連想。そのページを開く。「『最後の晩餐』に結晶した、 名画が名画であるための六つの条件!」。その名画の条件とは。

《  1 人物や風景、静物の写実的な描写力がいかに傑出しているか。
  2 場面や情景、つまり場の臨場感の描写力がかに傑出しているか。
  3 構図のバランス、つまり造形面の構成力がいかに傑出しているか。
  4 色の配分、つまり色彩面の構成力がいかに傑出しているか。
  5 描かれた人物、場面等の解釈にどれほどの奥行きがあるか、
     つまり画題の構想力がいかに傑出しているか。
  6 描かれた画面の背後にどれほど深いメッセージが託されているか、
     つまり主題の構想力がいかに傑出しているか。 》 80-81頁

《 そして名画とは、いずれの要素であれ、誰もが納得できる意味に裏打ちされ、さらにそれぞれの要素が、確かな意味を持って結びついている絵画のことを指す はずである。 》 81頁

 描写力、構成力までは理解が及ぶが、構想力となると理解はあやしい私。特に二十世紀絵画における構想力となると、ムヤムヤ。
 カラヴァッジオ〜ジョルジュ・ド・ラ・トゥールレンブラントらの闇の絵画を彼は論じて。

《 暗さは、確かに部分的な明るさを引き立てもするのではあっても、画面の広がりや大きさに対しては、決定的に縮小する作用を持っている。 》 172頁

 ここは首肯しかねる(味戸ケイコさんの絵画の杳かな奥行きを思い浮かべながら)。そこからまた連想。昨日のマックス・エルンスト『慈善週間』の河出文庫は 持っていないが、『百頭女』『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』は、単行本も文庫本も所持。文庫版『百頭女』の訳者巖谷國士「文庫版あとがき」から。

《 もともと大衆的な複製芸術の一種であるエルンストのコラージュにそなわっている魔術的な力は、さいわいなことに、小型化されたところでいっこうに減ずる 気配がない。 》

 味戸ケイコさんの小さな(はがきより一回り大きい)絵画の魔術的な力は、巨大化されたところでいっこうに減ずる気配がない。闇の魔術的魅力が一層増した。
 『図解:名画の見方』に戻る。

《 いささか図式的な表現を許してもらうならば、陰影と不可分であったヨーロッパ絵画における光の表現を、影を描かずに達成してみせたのが、印象派だったという ことにある。 》 182頁

《 そして、この時から名画とは、画家たちが唯一絶対の規範とし得る傑作ではなく、なにより見る側の人々に愛され、広く知られる作品のことを 意味し始めたのである。 》 182頁

 うーむ。

 ネット、いろいろ。

《 人の心を動かす (toucher) ために必要な技術は、コントラストを明瞭に出す技術だ。明暗、陰影、正邪、聖俗・・・ そういったコントラストを、くっきり、 かつ自然に出すには、高い洗練された演奏技術が必要だ。 》 DDC_violoncellista
 https://twitter.com/DDC_violoncelli/status/1008364733529899010

《 「思うに、自然は常に生きており、振動し動いている。日本には、表象・再現することを精髄とする西洋の古典的規範とは別種の藝術があって、 それは表象・再現の狭量なる束縛を破り、なにか精神的なものを求め、具現化するということにあるのではないか、というのがまことの問いである。」矢代幸雄 》  中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1008704345771204608

《 「歴史的には、日本美術に中国起源でないものは僅かしかない。この事実から、文明史研究と同様に、ただ中国のみが研究に値し、日本はその派生にすぎぬと 結論づけることよりも、美術にとって重要なのは、日付とか起源に関する学者めいた考察が、審美的判断を抹消しないことである。」矢代幸雄 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/1008704398065692672

《 全国美術館会議が「美術館と美術市場との関係について」声明を発表。「美術館は市場関与目的の活動をすべきでない」 》 美術手帖
 https://bijutsutecho.com/news/16923/

《 金委員長から、安倍首相は「モリカケで嘘ばかりついて責任から逃げまわってるので信用出来ない」との発言がありました。 》 yuichi
 https://twitter.com/yuichi17351526/status/1008760859420577792