「葛藤」「三界唯心」

 道元『現代語訳 正法眼蔵 4』大蔵出版1994年初版、「四六 葛藤(かっとう)」を読んだ。

《 普通の解釈では、葛藤は、煩悩がつるくさのようにからまっていることに譬えられる。したがって、煩悩の葛藤を断ち切って悟りを得るということが、ごく表面的に 考えられた道である。ところが道元は、これとまったく違った意味で葛藤を考える。すなわち、仏法を正しく受けついでいくこと、それが葛藤であるという。 》  解説 5頁

《 このように、師と弟子とが一切を超越して、師は説法し、弟子は聞法しつつ、両者一体となって参究する。道元は、まさにこの師弟の同体参究を仏祖の葛藤と いうのである。これが、前に述べた、仏法を正しく受けついでいくことが葛藤であるといったゆえんである。いいかえれば、弟子の根源をもって師の根源を実証する ことであり、道元は、そのことを以心伝心ともいっている。 》 解説 7頁

 「四七 三界唯心(さんがいゆいしん)」を読んだ。

《 三界というのは、欲界(欲望の世界)・色界(形態の世)・無色界(無形態の世界)で、要するに迷いの全世界である。その全世界は、そのまま心のみなるもの である、という。これが三界唯心の原意である。 》 解説 25頁

《  しかし、これに関する道元の思索はまったく独特であって、右の思想史的問題とはほとんどかかわりがない。それらは無視されており、時には原意を否定する見解 さえ現われている。したがって道元自身の問題に入ってみよう。
  道元の思索をたどってみると、ここには四つの主題が含まれていると思う。 》 解説 25頁

《 第四に、果てしなき追求である。(中略)ともかく大事なことは、もう分かったからといって、けっしてそれに止まるものではないということである。分かれば、 分かった領域の裏にどうしても分からない部分が残る。それがまた分かれば、またその裏には分からない部分ができる。(中略)結局は、分かっても分からなくても、 なおそれらを越えている三界唯心が存するということである。これはきわめて意味深長である。果てしなき追求の勇気を奮いたたせると同時に、なおそれ以上に無限の 安立感(あんりゅうかん)に支えられているということに落ち着くであろう。 》 解説 27頁

 午後、本屋で新刊の竹村牧男『鈴木大拙創元社を受けとり、グラウンドワーク三島事務所へ寄る。そばのでかい案内看板を見上げている若い女性二人に声をかける。 源兵衛川を見たいと英語で言う。一人は中国から東大への、もう一人はフィリピンから名大への留学生。ホームステイで三島へ。一時間ほどの予定と聞いて、 源兵衛川中流部までを往復。喜ばれる。"I usually don't speak English"とことわり、慣れない拙い英語で会話。三島駅前でお別れ。下手でも何でも喋ればなんとか 通じる。通じたかな。中国人は歴史を、フィリピン人は環境問題を研究していると。帰宅したら汗びっしょり。梅雨明け。

 一昨日も取りあげたPink Martini (with singer Storm Large) - Amado Mio。午後九時で2,646,899回。視聴増加数は、五日午後九時から今夜九時までで三万回超え。 いいね、は123、だめ、は10増加。こんな風に迫られてみたい? 悩ましい問題だ。
 https://www.youtube.com/watch?v=sCbzWiJLVhk

 ネット、いろいろ。

《 高齢者延命の実情 》 しがないナース
 https://twitter.com/i/moments/1015840024540020738

《 家内と調整?  》 鳶の羽
 http://blog.livedoor.jp/korban/archives/1071905346.html

《  災害対応→しませんでした
  外交日程→キャンセルしました 》

《 安倍後手三 》