「面授」「坐禅儀」「梅華」

 道元『現代語訳 正法眼蔵 4』大蔵出版1994年初版、「五七 面授(めんじゅ)」を読んだ。

《 ところで、面授とは、弟子が師に直接面えつして正法の真髄を授かり、師は弟子がそれを受けることを確認することである。このように、師と弟子とが、互いに 相見えて、真髄の授受の行われることを面授というのである。これによって、真の仏道が仏祖から仏祖へと正伝されていくのである。 》 解説 303頁

《 その後帰国して、『眼蔵』が説き明かされてきたのであるが、すでに見てきたように、その仏道は、いろいろな推移を経てきている。そして法がその人格体に熟しつつ ある途上に、生涯が終った。その視点から見ると、授受された正法とは、いったい何なのであろうか。面授について、さまざまな問題を考えてみなければならない。結局は 根本に立ち帰って、「ダンマが顕わになる」とは、どういうことかということを、全人格体をなげうって明らかにしてみなければならないのではあるまいか。 》  解説 305-306頁

 「五八 坐禅儀(ざぜんぎ)」を読んだ。

《 山の突き立ったように、坐禅三昧に入り、思い量り得ない所を量るのである。では、どのようにして思い量り得ない所を思い量るのか。それは、思い量るそれ自体の 拒否である。これこそ、坐禅の要所である。坐禅は禅を習うことではなく、そのままが大安楽の法門である。煩悩に染みついていないままを修し、かつ証(さと)ること である。 》 本文 335頁

 「五九 梅華」を読んだ。

《 三十九歳の頃から始まった『眼蔵』独特の表現、それは三昧─思索、思索─三昧にもとづくものであるが、かれの心境が時々刻々に変っていったさまが、『眼蔵』の 次々の諸巻のその表現から、実によく窺われる。その移り変りのプロセスをよく味嘗してみると、かれ自身も思い及ばぬほどに開眼されていく歓びと、草の根も瓦礫の 固さもかみくだかねばならぬ悪戦苦闘とのからみ合いの持続であったことが、私の胸の奥からこみあげてくる。その道元が、この年になってようやく梅華のたたならぬ世界 に気づいたのである。 》 解説 337-338頁

《 ふと私に思われてきたのは、梅華や眼晴という抽象名詞だけで済まされるであろうか、もっと具体的な名が顕れるのではあるまいか、ちょうどブッダにおいてダンマが 如来に転じたように、また、阿弥陀仏大日如来の名が注目されるように。しかし道元にとっては、そうした名そのものが観念的で、その観念をどこまでも突破して、 生々しい、かつ動態的な体感にまで咀嚼し尽そうとするのである。そこでは、一瞬も停まることを許されないきびしい修練を要するであろう。観念を超えてやまない そうした道元の動態によって、梅華は開きつづけていくものであろう。 》 解説 339-340頁

 暑〜い一日。
 朝食前に源兵衛川中流部、三石神社周辺のヒメツルソバなどを抜く。十株ほど。減ったものだ。シャワーを浴びる。
 昼前、女性二人の車に同乗して富士宮のまちなかアートギャラリーへ。白砂勝敏さんの作品を拝見。料理店の今はほとんど使われていない二階の和室の宴会場には、座卓や 椅子が、面白い具合に組み立てられ、そこここにセメントで丸められた球体が置かれている。昭和レトロの会場が、なんとも懐かしく不思議な空間に。現場に足を運んで 空気感を味わう、それが正しい鑑賞の仕方。写真ではわからない。
 http://www.city.fujinomiya.lg.jp/event/visuf8000000ans1.html
 おっと忘れていた。那須温泉大黒屋のギャラリーでの白砂勝敏展が決まった。来年の四月いっぱい。社長、相当気に入ったようだ。
 http://www.itamuro-daikokuya.com/

 ネット、いろいろ。

《 ばたばたしていて、時間がなくなったもので、お昼はコンビニのパスタで済ませる。……しかし、この四半世紀で、コンビニの麺類は長足の進歩をとげましたねー。 昔は、金をもらっても食えないような……(以下、自粛)。 》 赤城毅
 https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1017650823256420353

《 昔、雑誌太陽の大正時代特集に載った邦光史郎先生の短編。神戸の鈴木商店焼き打ちに触れて「荒稼ぎしたのは三井三菱も同じなのに、 そうした雲の上の存在には逆らわず、自分たちに近い鈴木には憎しみを燃やす。それが日本人だ」(大意)に衝撃を受けた。要は民主党政権バッシング、 野党バッシングだよね 》 芦辺 拓
 https://twitter.com/ashibetaku/status/1017298428626391041

《 たしかにブータンはGNP(国民総生産)ではなくGNH(国民幸福量)という概念を取り入れて国民の幸福を優先にしているけど、それを保証するのは 「持続可能な社会経済開発」だ。今の日本に持続可能な経済施策があるとは思えない。少なくとも今の政権には。 》 太田忠司
 https://twitter.com/tadashi_ohta/status/1017295056980488193

《 安倍首相「政府として一丸となって、発災以来、全力で取り組んで参りました」一体どこの国の話だ。「全力で取り組んだ」と言えるのは 迅速に災害に対応する為の非常災害対策本部を設置してこそだが、安倍首相が同本部を立ち上げたのは8日の8時の話であって「発災以来、政府一丸」 というのは完全な嘘だ。 》 ゆみ
 https://twitter.com/yumidesu_4649/status/1017399760762753025

《 発災以来、政府一丸となってやったのは自分たちの宴会だけだろう 》 リュンリュン
 https://twitter.com/drag_on1954/status/1017403107062378496