「虚空」「鉢盂」

 道元『現代語訳 正法眼蔵 5』大蔵出版1994年初版、「七七 虚空(こくう)」を読んだ。

《 表題の虚空とは、果てしのない大空間である。われは、その空間の真っ只中にいる。道元の最初の問は、「ここはいったい、いかなる処か」という。この問いが 実現して、仏祖となり、皮肉骨髄の全人格体が、そのまま虚空にかかってくるkとになる、という。そうなれば、いくら動いても動いても、障りのない自在無碍の 活動が、すなわち虚空ということになる。しかしながら、その自在なる活動は単なる放縦ではなく、明確な方向づかえがある。それは、どこへ向かって方向づけられて いるのか。それがこの巻の究明する所である。 》 解説 316頁

《 最後に道元は、以上、さまざまな虚空の捉え方を、正法の眼目、涅槃の妙心と心得て、ひたすら参究せよ、と結ぶのである。 》 解説 317頁

 「七八 鉢盂(ほう)」を読んだ。

《 表題の鉢盂は、応量器とも呼ばれ、雲水の所有する食器である。雲水にとって、袈裟とともに尊重される。ここではとくに、鉢盂に注目して仏道が語られている。 》 解説 331頁

《 鉢盂は、木製や鉄製であるが、その物にこだわってはならない。仏祖から仏祖へと正伝されてきた正法眼蔵涅槃妙心がそのまま鉢盂となって行者に所有されている。 したがって鉢盂は、仏祖の心身であり、仏祖の光明であり、仏祖の真実体であり、さらにそれを超えていくものである。鉢盂は、生滅を超え、得失を超え、新旧を超え、 古今を超える、という。 》 解説 331頁

 昨日、リンカーン型の白い霊柩車を初めて目撃。縞模様ならミステリだけど。ネット検索すると、けっこうあるようだ、白。
 午前、所用のついでに倉庫から小原古邨の木版画『漁船』を出してバスに乗って自宅へ運ぶ。車内は涼しい〜。
 昼前、本屋から椹木野衣の新刊『感性は感動しない』世界文化社2018年初版帯付を受けとる。
 午後、いつもなら自転車で行って済ませる用事、この暑さ、延期。昼寝していた時の外気温、34.4℃ 。外出しなくて正解。
 夜の集まりが議論百出、盛り上がる。帰宅が遅くなり、『正法眼蔵』をもう一巻読む予定が流れる。

 ネット、いろいろ。

《 BS1スペシャル「欲望の時代の哲学〜マルクス・ガブリエル 日本を行く〜」 》
 https://www.dailymotion.com/video/x6ou6zm

 最後の場面の発言に意を強くする。

《 「イスラエルユダヤ人国家」 賛否分かれる新法が可決 》 BBC NEWS JAPAN
 https://www.bbc.com/japanese/44883320

《 とりあえず、オリンピック前後は東京に寄りつかないようにしようと、今から心に決めている。 》 赤城毅
 https://twitter.com/akagitsuyoshi/status/1019915715317338113