現代の、美

 東京新聞朝刊、「平成のことば」は、大岡信。1997(平成九)年九月二日のインタビューで。当時六六歳。

《 猫はこよなき無用なもの、美もまた無用にして役たたず。ゆえにすべてを超越して人を魅了する。 》

 つづいて。

《 便利な物が次々作り出され、万事功利優先の世になると、逆に無用なものの美しさが際立つ。 》

 美なんだよなあ・・・美術。現代アートではなくて、現代の、美術なんだよなあ。『日本美術全集 第19巻 拡張する戦後美術』小学館2015年初版、月報 「戦後のアメリカ美術と日本/宮下規久朗」から。

《 従来、20世紀美術を俯瞰するために形づくられてきた歴史的な視点は、モダニズムのそれである。 》

《 つまり、絵画が虚構の窓ではなくなり、物質としての平面に還元されていく流れであった。20世紀には、生物学の進化論や社会主義の発展史観に影響され、 芸術も進化し、発展していくという観念が普及したのである。 》

 上記『日本美術全集 第19巻』を編集した椹木野衣の『震美術論』美術出版社2017年から。

《 冷戦構造が崩壊し、世界が怒涛のようにアメリカ的な価値観に飲み込まれ、日本もその中でやむなく生き残っていかなければならなくなったとき、画壇の後ろ支えを 失った日本の受験美術は、肥大化した手わざだけを残して、アートなき美術の世界で行く宛のない迷い子になってしまった。 》 359頁

 初読時には見逃していた箇所だが、筆触と色調を考えている今、目に止まった。

《 つまり、手さえ動けば集団的な合意が早いのである。これに加えて日本画においては筆で線を引くこと、洋画では面を塗ることに分化しているから、、ひとたび 協働することに成功するなら、絵画を構成する「ドロー」と「ペイント」を一枚の画面の中で首尾よく統合することも可能だ。 》 359-360頁

 上記は村上隆による『五百羅漢図』制作への過程を示した箇所だが、『五百羅漢図』は興味がなく見に行かなかった。
 鮮度だけでは測れない現代の、美を今も探求している。一世紀前の小原古邨の木版画のように、今もって瑞々しい美を保っている作品にも惹かれる。
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm

 葛原妙子の命日と知る。歌集『原牛』を『現代短歌体系 7』三一書房1972年で読む。

   美しき挙手をわれみつ断崖の小径に自動車(くるま)の擦れちがふとき

 藤原伊織の遺作『名残り火 てのひらの闇 II 』文藝春秋2007年初版の末尾を連想。

《 そのときだった。前をいくBMWの運転席の窓からさしだされたものがある。彼女の細い右腕だった。夜目にも白いその腕が、ゆるやかに上を向いた。 》

 ネットでかまびすしいので『日本国憲法講談社学術文庫1993年13刷を開く。

《 第九九条【憲法尊重擁護の義務】 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ。 》

 きょう一日エアコンを使わずに過ごした。晩夏。

 ネット、いろいろ。

《 本八幡ブックオフは、JR総武線の中でも一際駅近に店を構え、片手では数えきれない数の近隣の古本屋を一軒を除いて駆逐した挙句、 自らも撤退するという文化的中性子爆弾のような華麗なパフォーマンスをみせたクソ店舗です。 》 猟奇の鉄人
 https://twitter.com/kashibaTIM/status/1036037176935440384

《 80年代にエイズのイベントを自治体に相談された時に、某広告代理店がしょうもない案を出して来たので「こんなんじゃ人は来ませんよ」と言ったら 「うちは〈動員〉で1000や2000は簡単に集められます」と言われたのを、五輪ボランティアの説明会には200人くらい集まったというニュースで思い出した。 》  安田登
 https://twitter.com/eutonie/status/1035702714590670849