『性食考』ニ

 赤坂憲雄『性食考』岩波書店2017年初版、「第四章 動物をめぐる問題系」を読んだ。

《 サルトルは書いていた、「われわれの人生のかなりの部分は、いろいろな穴をふさぎ、いろいろな空虚を満たし、象徴的に充実を実現し確立するために、過ごされる 」と。たしかに人の一生とは試行錯誤にみちた穴ふさぎの軌跡なのかもしれない。 》 139-140頁

《 それにしても、愛とはいかにも厄介きわまりないテーマではある。 》 143頁

《 そして、いまひとつ、そこには以下のような議論が示されていたのだった。すなわち、Aか非Aか、肯定か否定か、このデジタル型思考(西洋のロゴス)は、 どちらにも属さぬ、第三の中間項としてのあいまいで両義的な境界領域をかならず産み落とす。(中略)自己/自己ではないが自己に近いもの/他者に近いが 他者でないもの/他者、という連続量の増減による質的な差異からなるコスモスこそを、思い描かねばならない。Aか非Aか、肯定か否定か、というデジタル型思考の なかで、そのあいまいに重なりあう部分にタブーの根源をもとめるのではなく、差異のグラデーションのなかにタブーの根源を発見しようとするのである。 》  147頁

《 わたしはそこから、タブー理論のアジアまたは日本からの組み替えは可能か、というという問いかけを受け取った。差異の切断/架橋のプロセスとしてではなく、 質的な連続の相のもとに、差異を濃淡のグラデーションとして把握することによって、タブーを超える=止揚するための、あらたな知の道筋がみえてくるのではないか。  》 148頁

《 性がこうしてグラデーションとしてしか語りえぬ時代を、きっとわれわれは生かされている。 》 149頁

 上記引用の”穴ふさぎ”の記述に寺山修司散文詩「悲しき自伝」(『田園に死す』収録)を連想。


   裏町にひとりの餓鬼あり、飢ゑ渇くことかぎりなければ、パンのみ
   にては充たされがたし。胃の底にマンホールのごとき異形の穴あり
   て、ひたすら飢ゑくるしむ。こころみに、綿、砂などもて底ふたが
   むとせしが、穴あくまでひろし。おに、穴充たさむため百冊の詩書、
   工学事典、その他ありとあらゆる書物をくらひ、家具または「家」
   をのみこむも穴ますます深し。おに、電線をくらひ、土地をくらひ、
   街をくらひて影のごとく立ちあがるも空腹感、ますます限りなし。
   おに、みづからの胃の穴に首さしいれて深さはからむとすれば、は
   るか天に銀河見え、ただ縹渺とさびしき風吹けるばかり。もはや、
   くらふべきものなきほど、はてしなき穴なり。


 関西の台風被害、北海道の地震被害。立て続けに起きてしまうと、ここはどうか、と心配になってしまう。生命も家財も儚い。心配しても詮無いことだけど。
 午後、今を楽しまなくては、と友だちと映画『カメラを止めるな』を観賞。これはヨカッタ。なぜか泣き笑い〜。もう一度観たくなる。

 ネット、いろいろ。

《  なんとー!!「カメラを止めるな!」がTwitterJapanを訪問して参りました。昨年のイベント上映からぽつぽつ覚えたTwitterTwitterがなかったら #カメ止め の今はない、といっても過言ではないのだ。
  大感謝&これからもよろしくでーす
  社員の友人と一緒に写真撮りそこねた 》 しゅはま@カメ止め\ポンッ/の人
 https://twitter.com/shuhamah/status/1037611074281828352

《 たった1日休むのをしなかったせいで、トラックが倒れたりして大損害を被っている。日本の危機予測意識の低さは世界の恥。 嵐の中で頑張って働くのがそんなに偉いのか? 》 幸せになりたかっ太
 https://twitter.com/realherusu/status/1036959790281383937

《  世の中は金じゃないってのは生活に困る事がない人が言っていることがほとんど。
  金重要。 》 melon
 https://twitter.com/melonVFX/status/1036929292427378693

《  池澤夏樹氏コラム「終わりと始まり」(5日・朝日夕刊)
  「誰も言わないから言っておく。官公庁がこぞって身体障害者の雇用数をごまかすような国にパラリンピックを開催する資格はない。この話題はここまで。」 》  武田砂鉄
 https://twitter.com/takedasatetsu/status/1037351823835717632

《 もうほんとにオリンピックとかやめてそれにかけるお金全部日本各地の災害復旧にあててくれ… 》 惣田紗希
 https://twitter.com/soudasaki/status/1037436742230466561