『かたち誕生』三

 杉浦康平『かたち誕生 図像のコスモロジー』NHK出版1997年初版を少し読んだ。

 携帯電話って身近に置いていない時に限ってかかってくる。こちらからかけ直すことになる。ああ。
 午後、三島市民文化会館小ホールでの「活動写真大上映会」へ行った。ホールを借り切って、プロの弁士とピアノ演奏付きで無料とは太っ腹。上映作品は『雄呂血』 『國士無双』『喧嘩安兵衛』そして『忍術キートン』の四本。どれも食い入るように観てしまった。バスター・キートンの『忍術キートン』に爆笑。水木しげるの漫画 『テレビ小僧』のアイデアを見た。七十五分の長編『雄呂血』は大正十四年、阪東妻三郎主演。これには度肝を抜かれた。ど迫力の殺陣。無情、非情。凄い世界観だ。 活弁坂本頼光)と生演奏(柳下美恵)が無声映画を見事に活性化〜現代化している。堪能。

《 こうして見てくると、漢字とは、じつは単に一点一画が結合しただけの無機的な記号ではない。漢字はまさにいのちをもち、豊かな体液の流れに支えられ、 脈打つ樹液を秘めた文字なのです。 》 147頁

《  現代の情報空間のなかで使われる文字たち。そのなかにこうした漢字の働き、「ち」の力をどのように盛りこんでいくべきななのか。
  コンピュータのなかでドット化され、情報をのせる記号として待機する機能的な文字であるだけでよいのだろうか…。深く考えさせられます。 》 157頁

《 一冊の本には、空間があり、時間がある。それをつらぬく、眼にみえる流れがある…。 》 169頁

《 『記号の森の伝説歌』と題されたこの本では、本文ページの四隅に日本の古典絵画や絵巻物の風景が棲みつき、詩の文字が列をなして並びあう紙面の中心に向かって 、ゆっくりと滲んでゆきます。 》 170頁

 本棚からその吉本隆明『記号の森の伝説歌』角川書店1986年初版を取り出し開く。その前には季刊『銀花』文化出版局の表紙デザインが説明されている。

《  あるとき、表紙に本の内容を、つまり本という身体の外からは見ることのできない内蔵や内面の働きをとりだして、凝縮してみようと思いたちました。一九六○年代の 終わりごろのことです。
  たとえば雑誌の表紙を、まるで目次のようにデザインする。 》 165頁

 本棚にある古い号、『銀花 1972年 第九号 春』。『記号の森の伝説歌』も『銀花』もデザインは、今も私の好みではない。

 ネット、いろいろ。

《 デュシャンと僕の自虐芸術史観 》 会田誠
 https://www.p.pia.jp/shared/cnt-s/cnt-s-11-02_2_e278d463-1833-41c1-bde7-839867e83c82.html

《 帷子耀の本を買った後、どこに収めるか。山口哲夫や金石稔の横に並べるか。『日本のマラーノ文学』(四方田犬彦)の目次のように並べるか。 》 ISOGAI 1
 https://twitter.com/ISOGAI_1/status/1050700180889034753
 『帷子耀習作集成』
 http://www.shichosha.co.jp/newrelease/item_2133.html

《 この6年間、日本は脳死状態だったと、後世の人々に言われるのだろう。 》