『批評空間 モダニズムのハードコア』

 二十年あまり前に出た『批評空間 モダニズムのハードコア 現代美術の地平』太田出版1995年2刷、冒頭の「共同討議 モダニズム再考」を読んだ。磯崎新柄谷行人浅田彰そして岡崎乾二郎の四人の討議。新刊で購入した当時、手に負えず本棚に鎮座したままだった。

《  グリーンから、フリードを経て
  ククラウスへと至るモダニズムのハード・コアを理論的に再検討しながら、
  いま、アートを成り立たせている美的判断の
  基準を問う、徹底討議 》

 こんな文面が扉に書かれているんだが、WWWに縁の無い当時は雑誌、書物の情報だけなので到底ついてゆけなかった。討議の冒頭一頁、三段組の上段。

《 浅田 別冊特集全体としては、美術におけるモダニズムのハードコアの部分を理論的に再検討しようというので、クレメント・グリーンバーグに始まって マイケル・フリードからロザリンド・クラウスに至るまでの流れを翻訳や評論を通じてあらためて跡づけるということなんですけれども、フリードからクラウスへという 流れは、建築でいうとコーリン・ロウからピーター・アイゼンマンへという流れと並行しているということもあるので、美術プロパーを超えた広い視野で考え直して みようと思っているわけです。 》

 クレメント・グリーンバーグは名前だけは知っていたが、他は未だに未知の人。で、再チャレンジ。三十頁余の白熱した討議をなんとか読了。

《 岡崎 磯崎さんがいらっしゃるので建築の話から入りましょう。前々からぼくはグリーンバーグよりもロウの影響が強かった。たとえば「透明性──リテラル(実) とフェノメル(虚)」というのはぼくにとって非常に示唆的な文章でした。 》 10頁上中段

《 浅田 ぼくも、フリードとロウのところに、ある種の微妙な折り目を見るというのに賛成なんですが、教科書的な復習も込めて少し補足したいと思います。 グリーンバーグ主義を単純化した場合、モダニズムというのは自己批判による自己純化のプロセスであり、絵画でいえばフラットな平面性へと自己を還元していく プロセスだということになると、その論理をもっとリテラルに推し進めれば、それこそドナルド・ジャッドなんかがやったみたいに、平面の外枠だけ取り出して 並べていくというふうなことになり、だからある意味で、グリーンバーグ主義みたいなものをリテラルに徹底すると、グリーンバーグの意図を超えて、ミニマリズムに なってしまうということになるわけですね。そのときにフリードが待ったをかける。 》 12頁下段

 やったら専門的な知識による討議が進む。

《 岡崎 ミニマルの後はサイト・スペシフィックとかね。それで最近はサイト・ジェネレーションとか言っているわけですよ。当然サイトを前提にできないという 議論になり、共同体をどう組み立てるかという議論に流れ、社会運動に拡散する。そうするともう美術という枠組が壊れちゃうわけです。もちろん、ポリティカル・ コレクトネス(PC)とかいうところからも、美術の枠組が壊されてきている。美術史を確定しないところでやってきたからグリーンバーグはよかったわけで、 それが確定しアカデミズムなってしまうと自由を失い芸術ではなくなってしまって、と。 》 23頁上中段

 この時点(1994年10月25日)でポリティカル・コレクトネスが出てくるとは。私なんざあ数年前に知ったばかり。やったら専門的な知識による討議が進む。

《  磯崎 そこで美術はふたたびフォーク・アートになるというわけね(笑)。
  岡崎 ええ、無数の小芸術になる。芸術という概念はみんな信じているかもしれないけど、芸術Aと芸術Bは永遠に一致しないという状態にはなりつつありますね。 ニュヨーク近代美術館にかぎらず、ポンピドー・センターでもどこでも、いま明らかに特別展とコレクションを完全に分けている。 》 36頁下段

《 岡崎 現代美術は、未来永劫にわたって価値があるというわけじゃなくて、文化論的にしか扱われない。常設コレクションとは別の、ただの特別展なんです。 》  38頁中段

《  岡崎 いや、もともとPCだったんですよ。こんな野蛮な人間がいるというだけで保護されてきたんだから(笑)。
  磯崎 日本のアヴァンギャルドにはたしかにそういうところがある。
  岡崎 そうですよ。たとえば岡本太郎花田清輝のあたりで、バタイユやカイヨワの影響もあって、縄文的なものの再評価というような議論がありましたね。 そこから土方巽暗黒舞踏なんかが出てきて、インチキなんだけども、訳がわかんないからすごい、と。
  浅田 捏造された土着性(笑)。
  岡崎 もうそれだけですもの。
  磯崎 それはアレクサンドラ・モンローが「戦後日本の前衛芸術」展を構成したときの視点じゃないの。
  岡崎 そうなんです。肉体の自己表出ですよ。困ったもんですね。
  浅田 そこにフェニミズムの視点が加わる。草間弥生における男根中心主義の転覆というような。
  岡崎 だから、非常に政治的ですね。 》 39−40頁上段

《  浅田 ちょっとズレるけども、ぼくはシンディ・シャーマンをさほど評価しない、にもかかわらず森村泰昌の作品に比べて彼女の作品はやっぱりアートだと思う、 それは、あれを見ていると言いようもなく不快だからなんですね。(中略)森村の作品だと、西洋美術史のパロディということで簡単に読めてしまうし、(後略)
  岡崎 読むに値しないでしょう(笑)。(後略)
  磯崎 だけど、彼の作品は、その徹底したミステリーのなさが、それなりにぼくは面白いと思うんですね。(後略) 》 41頁上中段

 この本、定価3500円(本体3398円)だが、古本のお値段が倍以上。ビックリ。所持している本には帯も付いてるで〜。
 東京新聞朝刊、太田出版の広告、本橋信宏『全裸監督 村西とおる伝』のキャッチコピー。

《 人生、死んでしまいたいときには下を見ろ! おれがいる。 》

 ネット、いろいろ。

《 40代前半でいまだにガラケーを使い続けている女性を3人ほど知っている。彼女らはそれぞれ赤の他人なんだが3人とも
  ・世間の流れに無頓着
  ・人は人、私は私と頑なタイプ
  ・独身彼氏無し
  と妙な共通点があり非常に示唆的だ。 》 ねむらー
 https://twitter.com/nemuraaaa/status/1066689384747941890

 昨日歌人の佐藤よしみさんから届いた個人誌『帆』22号から。

《 二○代後半の知人の何名かはスマホからいわゆるガラケーに戻したという。電子メールと電話の機能さえあれば後は情報拡散の心配の方が恐ろしいことを 実感したのだという。 》

《 読みたい本があり、読まなければならない本があり、読まざるを得ない本があり、読むに読めない本があり、読みっぱなしの本があり、読みかけの本があり、 読んだつもりの本があり、思わず読んでしまう本がある。 》 永瀬恭一
 https://twitter.com/nagasek/status/1066543870190608384

《 BFS-Auto: 高速・高精細書籍電子化システム 》 石川 妹尾 研究室
 http://www.k2.t.u-tokyo.ac.jp/vision/BFS-Auto/index-j.html

《 一言で言えば、惹かれる作品があったら、買う。半年昼飯抜いてでも買うんだよ。
  ちょっと無理すれば買えるようなものは沢山ある。
  本も骨董もアートでも。所有するのは独占ためじゃない、ずっと付き合うためだ。そして自分も一緒に作品化する。
  それはもう、消費じゃないだろ。金の一番賢い遣い方だ。 》 +M
 https://twitter.com/freakscafe/status/965097855449886720

《 東京五輪しかり、大阪万博しかり、当日の盛り上がりよりも、それまでに発生するであろう、利権漁り、相克、混乱、便乗などをじっと観察するほうが面白い。 》   辻田 真佐憲
 https://twitter.com/reichsneet/status/1066196280207073280

《  水道民営化するなら
  NHKを民営化しろってんだ!!
  水は命に関わるけど
  NHKなんて観なくても死にはしないのだからね! 》 銀
 https://twitter.com/ginjfox/status/1066428065541058560

《 びっくりした。元号が「内定」に決まったのかと思った 》 『プリニウスヤマザキマリとり・みき
 https://twitter.com/plinivs/status/1066441990940708865