マイケル・フリード「モダニズムはいかに作動するか」(『批評空間』1995年臨時増刊号収録)を読んだ。昨日のT・J・クラーク「クレメント・グリーンバーグの 芸術理論」への批判。冒頭。
《 T・J・クラークの挑発的な論文「クレメント・グリーンバーグの芸術理論」のなかで提起されたモダニズム論にたいして、以下において異を唱えようと思う。 》 122頁上段
《 クラークの試論の中心にあるのは以下の主張である。すなわち、諸芸術におけるモダニズムの実践が根本的に否定のそれだった、というのだが、この主張がまず 誤りである。 》 122頁下段
《 けれどもこうした観察で止まっておけばいいところを一歩踏み外して、クラークは「否定とは、芸術がそれ自体で一個の価値として現れてくる、まさにその形式として モダニズムの実践そのもののなかに書き込まれている」と主張してしまった。そればかりか、さらにまずいことに、「〈芸術〉という事実はモダニズムにあっては、 否定の事実のことなのである」とも。これらの主張こそが、少なくとも私の目には誤ったものと映じるのである。 》 123頁上下段
昨日の引用のコピー&貼り付けでここは楽。とういうか、いいところに目をつけているな、私。
《 しかしながら私がここでいいたいのは、モダニズムにかんするクラークの説明が事実を歪めているということではなく、むしろ、モダニズムがいかに作動するかという 考えに囚われすぎているがゆえに彼が事実を見る目を覆い隠されてしまっている、ということなのだ。 》 129頁上段
《 (芸術と社会の間の深淵に橋を架けることをもってモダニズムの政治的理解と解されているのだとすれば、その課題自体が取り違えられているのだ。) 》 131頁 下段
《 つまり、(まさにこのゆえに明白な関係という言い方が可能となるのだが、)新しく生みだされる意義ある作品はかならずやあの先行する約定にかんするわれわれの 理解に変容をもたらし、さらにはその当の先行作品にもその瞬間まで存在しなかった重要性(これをもって価値ないし質の尺度といってはいけないだろうか)を新たに付与 するはずなのであ。 》 131頁上段
《 見かけは難解かつ進歩的なようでも決まり切った大多数のけばけばしいだけの作品と、数のうえではずっと少なく見たところそれほど過激ではないことも間々 あるけれども真に重要な作品とを、区別する必要があると主張していたのに、クラークはそれをただ無視しようというのか。前者はグリーンバーグ系の批評家たちによる ならば中身のない八方美人的なアヴァンギャルド主義の産物ということになり、後者はその時点にあって重要とされる過去の作品と比較されても生き残るものだが、 クラークはそうした客観性の欠けた区分は必要なしと考えているらしい。 》 133頁下段
アンソニー・カロ Anthony Caro の小型立体作品(テーブル・ピース)について論じて終える。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=Anthony+Caro++table+pieces+22#mode%3Ddetail%26index%3D167%26st%3D6210
《 《テーブル作品第ニニ番》が芸術であるとの確信は、徹底的分析に抗うような何ものか、たとえばそのメタリックな光輝を発する灰緑色が他のすべての要素にたいして 有する適切さまで含めた、作品のなかで作動しているすべての関係の全き正しさ(ライトネス)に、もとづいている。批評家がまず責任を負うべきは、その種の正しさに たいする直観なのであって、またその直観のゆえに批評家は直接に報われるのである。(中略)かりにクラークがこの直観のかけら以上のものを共有しているのであれば、 モダニズムの政治学についての彼の理解は、いまとはまったく異なったものとなったはずなのである。 》 136頁上段
ネット、いろいろ。
《 宇宙人ではないけれど地球の大気から酸素を全部抜くことを計画藤原編集室中の科学者が登場する小説がフラン・オブライエンの『ドーキー古文書』(白水Uブックス、 1月予定)。実際にそれを可能にする物質の開発に成功するのですが・・・ 》 藤原編集室
https://twitter.com/fujiwara_ed/status/1072651874174672896
『スウィム・トゥー・バーズにて』『第三の警官』は読んでいるけど、『ドーキー古文書』は未所持未読。これは楽しみ。…と書いたが、本棚には『世界の文学16 スパーク オブライエン』集英社1977年初版が。なんと『ドーキー古文書』にも付箋が。いやあ、内容はすっかり忘れている。参ったなあ。まあ、オブライエンの小説は まったく不可思議だから。訳者大沢正佳の集英社版の解説から。
《 『スウィム・トゥー・バーズにて』は一部の識者の高い評価を得たものの、ひろく世評にのぼることはなかった。刊行後半年間にダブリンで売れたのはわずかニ四四 部であったという。 》 486頁上段
《 「この世界の秘密は、それにより自己を変える心構えのある人にのみ開示される」とミヒャエル・エンデは書いたけれど、人や本や音楽も、きっとみんなそうだわな。 スポンジのような、粘土のような人間でありたい。 》 道尾秀介
https://twitter.com/michioshusuke/status/1072683186394722304
《 「次の外務大臣をどうぞ。」
「次の質問をどうぞ」河野外相 会見で質問を繰り返し無視 | NHKニュース 》 星田 英利
https://twitter.com/hosshiyan/status/1072437885557764098
《 「マルセル、おまえ、急に引っ越したらしいな」「妻が男をつくって出ていってしまってねえ」「かわいそうに。だが、変な話だな。それなら、 あわてて引っ越さなくてもいいだろう?」「だってよう、妻の気が変わって帰ってきたら、大変だろ」(フランスの小話) 》 フランス書院文庫編集部
https://twitter.com/franceshoin1985/status/1072103387011923968