閑人亭日録

『絵は語り始めるだろうか』六

 佐藤康宏『絵は語り始めるだろうか  日本美術史を創る』羽鳥書店2018年初版、「14 南蛮屏風の意味構造」を読んだ。前章と同じく興味のない分野だが、 その精緻な分析と深い読みで読んでしまった。

《 日本に来航したポルトガル人の様子を描く屏風が、主に桃山時代から江戸時代初期にかけて作られ、七十点近くの作例を数える。それらを南蛮屏風と総称する。 》  433頁

《 私は、寛永風俗画としての「朱印船図」(清水寺)を考察する前提として、南蛮屏風における意味構造の大きな変化が既に宮内庁本と南蛮文化館との間に起こって いたことを明らかにしておく必要を感じ、このニ作品を主たる素材とした南蛮屏風論を試みることにした。ここで意味構造という概念が問題にするのは、画中の形象の ひとつひとつが人や船を意味する、さらには南蛮人や南蛮船を意味する、といったレヴェルよりも高次の位相で、つまり南蛮人や南蛮船などのモチーフが相互に関連 し合ってどのような意味を伝達する体系に編成されているかということである。 》 441-443頁

《 だが、宮内庁本と比較するならば、宮内庁本の方がさらに素朴な表現で、南蛮文化館本の方は宮内庁本の基本構成をずらし、新しい要素を加え、画面の意味作用を 大きく変えた変種と見るべきだろう。 》 466頁

《 新基軸の要諦は、繰り返すが、画面を前後ふたつの区域にはっきりと分割したことである。(中略)そして、このふたつの領域には、それぞれ異なるレヴェルで 南蛮人と接する日本人を配置し、鑑賞者の好奇心に応えている。 》 466頁

《 宮内庁本の論理性とは、南蛮船の積荷が一旦は商館に収納されること、船上での取引を行なっている日本人商人の手で商品が市中にもたらされること、 それらの品物を売る店が存在すること、そして品物を購買する南蛮趣味の日本人がいることまでを説明するのを意味する。南蛮文化館本は、これらのうちどれも 描いてはいない。 》 478頁

 推理小説の謎解きみたい。

《 かつて南蛮屏風は美術史学の研究対象ではなかった。 》 483頁

 時代は変わる。

 「15 又兵衛諸作品の再検討」を読んだ。取りあげられている岩佐又兵衛の絵巻物『山中常陸』は、所蔵先のMOA美術館で観た。殺人の凄惨な場面の鮮烈な赤い血。

《 男が女を殺す(そして象徴的に犯す)この場面は、男女の力関係を絶対的なものに見せる。また、常盤御前源義朝の寵愛を受けた高貴な身分の女性であるのに 対して、盗賊は卑しい身分の男であって、そういう下劣な男が貴い女を殺す/犯すというのは、身分の下の者が上の者を虐げる逆転の暴力である。 》 508-510頁

《 盗賊全員を殺し復讐を遂げた後、次の巻では、宿の主の助けを借りてそれらの死体を筵でくるんで荒縄で縛り、夜の間に川まで運んで捨ててしまう、というところまで 細かな描写が続く。平安時代末を舞台にした物語の世界に、いまだ戦の記憶が生々しかった江戸時代初めの現実が干渉しているかのような情景である。 》 511頁

 この絵巻の制作を依頼したのは、越前国の大名であった松平忠直と推定されるが、その忠直はまた凄まじい生活を送っている。

《 結局忠直は目に余る行状のため元和九年(一六ニ三)に改易され、九州は大分に飛ばされてしまう。 》 512頁

《 絵巻の表現にはまた画家又兵衛の生い立ちも交錯しているようだ。 》 512頁

《 又兵衛にしてみれば、牛若丸の母が盗賊の手にかかって殺されるのは、彼自身の母が処刑されたことを思い出させる物語であったはずである。 》 515頁

 何気なく読み始めたが、いやはや凄い背景だわ。

 「16 物語絵の伝統を切断する──岩佐又兵衛「梓弓」」を読んだ。

《 「物語絵の伝統を切断する」という題は又兵衛のすこぶるユニークな物語絵のありさまを語るタイトルだが、しかし、伝統を切断することによって新たに伝統に つながる道を拓く、そんな意識のあり方を示唆している。(中略)又兵衛は、宮廷文化を切断するその手際のみごとさによっても、彼に続く絵師たちの先達となったと いえそうだ。 》 549-550頁

 岩佐又兵衛がぐっと全面に押し出してきた。

 東京新聞の番組表、NHKEテレ「日曜美術館」朝の放送は「偶然出てきた謎の木版画▽プロも認める究極の技法」。ウェブサイトを見たら「小原古邨」の再放送。 驚いた。原宿の太田記念美術館で開催中だからかな。来てるなあ。古邨に続くのは田島志一の審美書院か。
 http://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-03-03/31/10780/1902777/
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm

 ネット、うろうろ。

《 マネが「オランピア」や「草上の昼食」のスキャンダルで批判されてた時、マネは真に受けて落ち込んでいたらしいのだが、ひとりボードレールだけが 「状況が良くなっているのに、マネはなぜ分からないのだろう」と言ったというが、確かに、マネの絵は後にフランス国家の宝になった。・・会田さんも然り。 》  布施英利(ふせ ひでと)
 https://twitter.com/fusehideto/status/1101704570500050944

《 人間(に限らず生物)はかならず制約下に生きている。ただし、その制約には幾つもの層がある。囚われとなる制約もあれば、何かを生みだす制約もある。 社会的制約というのは、そのなかでも偏狭な制約である。だから藝術を社会的に評価しようとすると、必然的に評価しそこねてしまうわけである。 》 中島 智
 https://twitter.com/nakashima001/status/1101978145022894080

《 既視感 》 城主ペネロペ
 https://twitter.com/tsurukameryu/status/1101865020772646913

《 助けていただいた桜餅です。 》