閑人亭日録

『絵は語り始めるだろうか』七

 佐藤康宏『絵は語り始めるだろうか  日本美術史を創る』羽鳥書店2018年初版、「17 見返り美人を振り返る」を読んだ。菱川師宣の『見返り美人』について。

《 これを傑作などと称するのはいかな師宣びいきでも堪え難い。彼の作品全体の中では凡作と評価すべきだろう。 》 555頁

《 そして小袖がほんとうらしく感じられるなら、それを着ている人物までも現実的に感じられるというのが当時の人の感覚ではなかったろうか。人の容貌を個性的に 描くのを写実的とする風潮は、歴史上ではごく限られた時代と領域のものだ。 》 562頁

《 この画は実際に元禄年間に作られたとはいえ、表されているのは当時生活していた現実の女性像ではなく、所有したいという欲望をかき立てる女の表象である。 》  563頁

 「18 江戸の浮世絵認識」を読んだ。

《 木版画という複製技術によって発展した浮世絵は、まさにその有力なメディアゆえに本来あるべき絵画とは異なるものと差別されるのである。 》 573-574頁

《 江戸時代の文化の中に浮世絵が確立したからこそ、それに対する批判も起こった。批判はしても無視はできない。 》 574頁

《 (渡辺)崋山は(松平)定信のようには浮世絵を評価しない。(中略)ところが、実際に描かれた画の方は、こういう提言を裏切っているといってもいい。(中略) 浮世絵を理解した上で、さらに一歩を進めて風俗描写の臨場感と全体性回復しようという意図を、「一掃百態図」に見て取ることができる。江戸時代における浮世絵認識 の最上の例として崋山の試みの意義をあらためて強調したい。 》 579-580頁

 「19 中国の文人画と日本の南画」を読んだ。ほとんど知らない分野。

《 江戸時代中期、十八世紀に始まるひとつのジャンルの絵画を、ここではやはり「南画」と呼びたい。彭城百川(さかき・ひゃくせん)(一六九七─一七五ニ)、 池大雅与謝蕪村といったこの分野の中心的な作家は、商家や農家の出身のまぎれもない職業作家である。(中略)したがって、日本の南画について中国と同じ「文人画」 も語を用いるのは、二重の意味で問題がある。 》 584-585頁

《 南画というのは南宋画という言葉を縮めて日本で作られた言葉のようである。 》 587頁

《 すなわち、必ずしも蘇州派の絵画を源泉とせず蘇州派風の表現に達した場合も南画にはあったと見るべきだろう。 》 593頁

《 南画は、一方的に文人画や南宋画を憧憬し、明末蘇州派を受容したわけではなく、自らの制約の中で可能なものを選択し形成された絵画である。 》 600頁

 勉強になりました。『文人畫三大家集』審美書院明治42年(1909)刊を卓上に開く。編者の田島志一は緒言で、与謝蕪村、田能村竹田、渡辺崋山を選んだ理由を縷縷 述べる。その一部。

《 吾人は平世深く此三大家の人格に推服し、其畫風を尚慕するものなるが故に、各自の傑作を網羅し、之を天下に紹介して以て其面目を發揮せんと欲し、其材料を 諸家の珍蔵より撰抜して、茲に本書を發行す、人或は蕪村、崋山の作を以て文人畫と稱するの妥當ならざるを難ずといへども、ニ家固より文人逸士の班に在りて、其作品 また脱俗超凡、些の匠気なく、一點の市臭なく、畫風一に明清の餘韻ありて、詩氣掬すべきもの多し、之を稱して文人畫といふ、何の不可あらんや 》

 「20 戦略としてのアナクロニズム──明末奇想派と曽我蕭白」を読んだ。

《 蕭白室町時代の曽我派につながることを主張し、当時としては時代遅れの画風で画を描いた。それはつまりアナクロニズムに違いないのだが、そうすることには 必然性があったのではなかろうか。時代遅れであることが時代の最先端を行くことになる、ややこしい状況の中に蕭白はいた、仮定してみてはどうだろう。 》  615-616頁

《 当時の京都市民の美意識は、蕭白の奇想さえもむしろ必要とした(やがてその中心を圓山應擧が占めて以降、近代の美術史学は蕭白を周縁へと追いやってしまう のだが)。蕭白は一見古めかしい主題と様式で人々の期待に応えたのだ。 》 623-624頁

 「21 蕭白のいる美術史」を読んだ。「20」を受けて明治以降いかに忘れられたかが語られる。

《 いったい蕭白が世に認められない不平家だったという神話はどのように生まれたのだろう。その神話が、遅くとも明治二十三年(一ハ九◯)に形成されていることは はっきりしている。 》 629頁

《 この『國華』四号の解説が蕭白に対する固定観念を作り上げるのに果たした役割は、相当に大きかったようだ。 》 632頁

 『國華』四号を開きたいが、取り出すのが面倒。

 ネット、うろうろ。

《 なんだかんだで油っぽくて味が濃いのが売れる、という先入観を勇気を出して捨ててみたら、商売の新地平が開けるんじゃないかなあ。 》 千葉雅也
 https://twitter.com/masayachiba/status/1102053448420225024

 すでにそうなっている、というのが私の見解。小原古邨もその流れにある。

《 「賛成意見を水増し」DL違法化、専門家が文化庁を批判/上田真由美 》 朝日新聞DIGITAL
 https://www.asahi.com/articles/ASM3351BKM33UCVL007.html

《 理由は一つではなく上記すべてがそれなりに今回の背景になっているのだろうけど、日本国民の知る権利や表現の自由が大きく変容しかねないこれだけ大きな改正を ろくな議論のないまま進めるのはデュー・プロセス的にもガバナンス的にも大きな問題があることは間違いない。これを変えられるのは世論だけ。 》 津田大介
 https://twitter.com/tsuda/status/1102453921023311872